人間として生きるか、二足歩行の動物として生きるか

君の心の中には苦い灰汁のようなものが湧き出てくるのだ、漁にこそ出ないが、本統をいうと漁夫の家には一日として安閑としていい日とてはないのだ。

今日も、君が一日を画に暮していた間に、君の家では家中で忙わしく働いていたのに違いないのだ。

建網に損じのある無し、網をおろす場所の海底の模様、大釜を据えるべき位置、桟橋の改造、薪炭の買入れ、米塩の運搬、仲買人との契約、肥料会社との交渉……その外鰊漁の始まる前に漁場の持主がしておかなければならない事はあり余るほどあるのだ。


君は自分が画に親しむ事を道楽だとは思っていない。

いないどころか、君に取ってはそれは生活よりも更らに厳粛な仕事であるのだ。

しかし自然と抱き合い、自然を画の上に活かすという事は、君の住む所では君一人だけが知っている喜びであり悲しみであるのだ。

外の人たちは―君の父上でも、兄妹でも、隣近所の人でも―ただ不思議な小供じみた戯れとよりそれを見ていないのだ。

君の考え通りをその人たちの頭の中にたんのうができるように打ちこむというのは思いも及ばぬ事だ。

君は理屈では何ら恥ずべき事がないと思っている。

しかし実際では決してそうは行かない。

芸術の神聖を信じ、芸術が実生活の上に玉座を占むべきものであるのを疑わない君も、その事柄が君自身に関係して来ると、思わず知らず足許がぐらついてくるのだ。

「俺れが芸術家であり得る自信さえ出来れば、俺れは一刻の躊躇もなく実生活を踏みにじっても親しいものを犠牲にしても、歩みだす方向に歩みだすのだが……家の者どもの実生活の真剣さを見ると、俺れは自分の天才をそうやすやすと信ずることが出来なくなってしまうんだ。

俺れのようなものを描いていながら彼らに芸術家顔をする事が恐ろしいばかりでなく、僭越な事に考えられる。

俺れはこんな自分が恨めしい。

そして恐ろしい。

みんなはあれほど心から満足して今日今日を暮しているのに、俺れだけはまるで陰謀でも企んでいるように始終暗い心をしていなければならないのだ。

どうすればこの苦しさこの淋しさから救われるのだろう」   『生れ出ずる悩み』より


おそらく誰もが実生活を生きられるように教育されてきているだろう。

食い扶持を確保し、安定と安心の上に豊かで平穏な日常と一家の繁栄を託されている。

はたして芸術はこれらの諸条件に当てはめることが出来ようか。

答えは、否。

なぜならば芸術はいかにも人間的だからだ。

人間として生きるか、二足歩行の動物として生きるか、これは難しい問題なのだ。

個人として存在するのか、種として存在を裏付けるのか―。

人間は協力し合って生きていかなければならないといいながら、自分は芸術というわけのわからない仕事にいそしみ、人々の苦労による恩恵を受けているというのはいささかアンフェアである。

一体芸術家とはなんであるか?

周囲が認める芸術家、すなわち、仕事としてその緩慢を―決して緩慢ではない、いたってまじめである―許してくれる条件というのはんであろう?

それに対して十分な報酬が与えられるかどうかである。

芸術をやるのであれば、少なくとも金銭的報酬を得なければならないという道理になる。

しかし、これらが芸術といえるのだろうか?

そうして得られた作品というのは、生み出すに値する代物であろうか?

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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