理想と自己実現のための犠牲と害悪

『その人たちは他人目(よそめ)にはどうしても不幸な人たちといわなければならない。

しかし君自身の不幸に比べてみると、遥かに幸福だと君は思い入るのだ。

彼らにはとにかくそういう生活をする事がそのまま生きる事なのだ。

彼らは奇麗さっぱりと諦めをつけて、そういう生活の中に頭からはまり込んでいる。

少しも疑ってはいない。

それなのに君は絶えずいらいらして、目前の生活を疑い、それに安住する事ができないでいる。

君は喜んで君の両親のために、君の家の苦しい生活のために、君の頑丈な力強い肉体と精力とを提供している。

君の父上の仮初めの風邪が癒って、暫らくぶりで一緒に漁に出て、夕方になって家に帰って来てから、一家が睦まじくちゃぶ台のまわりを囲んで、暗い五燭の電燈の下で箸を取上げる時、父上が珍らしく木彫のような固い顔に微笑を湛えて、「今夜ははあおまんまが甘(うめ)えぞ」といって、飯茶碗をちょっと押しいただくように眼八分に持ち上げるのを見る時なぞは、君はなんといっても心から幸福を感ぜずにはいられない。

君は目前の生活を決して悔んでいる訳ではないのだ。

それにもかかわらず、君は何かにつけてすぐ暗い心になってしまう。

「画が描きたい」

君は寝ても起きても祈りのようにこの一つの望みを胸の奥深く大事にかき抱いているのだ。

その望みをふり捨ててしまえることなら世の中は簡単なのだ。   『生れ出ずる悩み』有島武郎著より


僕は両親の安心のために、自分の夢も挑戦もあきらめて、今まで自ら鍛え、獲得した知力と勢力とを提供することに不満を感じていたわけではなかった。

親孝行ということが常に頭に浮かび、機会があればそれを果たさなければならぬと自分に課したのだ。

大学でただ単位を取るという大義をふりかざして、怠慢と放埓に身を投じ、平然としているやつらを幸福だと思った。

彼らにとってはそれは当然のことで、大学は社会人になる前の最期の遊べる期間だと勘違いをしている。

人間としての成長段階ではなく、社会的地位としての段階を、しかも準備されたまま甘受し、それに対して諦めどころか、疑いすらはさんでいない。

しかし、僕は常に疑問に思った。

「これが大人になるということなのか、社会で生きるために必要なことなのか?

人格や思想といったものはどうしたものだろう?

このままではいけないぞ」

仕事でもまた同じような壁が僕の前に厳然と立ちはだかっていた。

「生活のための仕事なのか、それとも仕事のための生活なのか…」

周りの人たちは「考えないことだ」、「世の中は厳しいから―」と慰めを与えた。

たしかに、物質的豊かさを得ることができ、悔やんだことはなかったのだが―

肉体と精神をただ労働力だけとみるのはもったいないし、いたたまれない。

自分を磨き、そのエネルギーで社会へ働きかけたいという欲求がだんだん僕の中で大きくなっていった。

「世界を知りたい。のびやかな心で人間を見てみたい。自分を高めていきたい。

そして社会に対する自分のあり方とは?」

同時に、そうした既成の段階を踏むことこそが、平凡であることが両親に安心を与え、ひいては親孝行になるということも思った。

僕が自分の欲求を実現し、喜びや幸せを感じたとしても、それは表面的なものではなく、それを誰が知りえよう?

表向きに難のないことを人は望むのだ。

理想や自己実現という思いを捨てることができたのなら、きれいさっぱり脳内に浮かぶこともない生活が送れたら、どれだけの人を幸せにできたことだろう。

自分の喜びと幸せのために、どれだけの犠牲と害悪を僕はもたらしてしまうのだろう…

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる