女性に対する愛は唯一無二なものでなくてはならないのか? 『白痴』のテーマから


『これはダイヤモンドだ。その値打ちを知っているものにとっては何千というダイヤモンドに匹敵する』

と世界を代表する文豪トルストイに言わしめたドストエフスキーの作品『白痴』。

3度目の挑戦でやっと、その大意をつかめたように思う。

1度目はその独特の描写方法にとても苦戦し、登場人物を把握し、表立った彼らの行動を読み取るので精一杯であった。

その描写というのは、小説ではどうしても一場面ずつを書くことになるのでその裏で起こっている動きなどの時間的前後関係やその及ぼす影響などを理解するのが難しいということがいえると思うが、それが特にこの作品では登場人物の多さと説明ではなく会話によるところが多いので際立っていた。

2度目では主人公ムイシュキン公爵の心情の変化と彼の性格、それによる行動を分析し、その人間性から得るところのものが多く、またナスターシヤとアグラーヤに対する愛の種類の差を考えさせられたという段階まで進めることができた。

そして3度目である今回、自分としても大きな飛躍をもってこの物語を読めたように実感する。

その要因としては、大方の主人公の性格や物語の大筋を知っていたことが大きかった。

それによって言葉と行動がその人物と性格に付随したものとして認識でき、理解を助けることになったのだ。

物語中心はムイシュキン公爵のナスターシヤとアグラーヤという二人の女性に対する異なる愛を実現する過程で起こるいざこざである。

ナスターシヤの愛に関してはラゴージンという競争者が存在する(一般的解釈でいえば競争者であるが、作品中ではそのように捉えないように読者に気づかせるという意をもって書かれている)。

アグラーヤは良家の娘さんで、その母親はこの物語の中でもっとも"まとも"な人間として書かれている。(と僕は感じた)

イッポリートは死に対して存在しており、彼を通して死生観が少しばかり語られるがあまりうがった見方というものではなかった。

冒頭に紹介した言葉のとおり、ムイシュキン公爵の口からでる言葉やその相手に対する態度はいくつかのダイヤモンドを提供してくれたし、輝く黄金のごとき人間像を見せてくれた。

このブログでいくらか紹介したように、とても充実したものであった。

ここで物語られるムイシュキン公爵の二つの愛が両立しないことをみるに、この社会ではこうした愛を認めないということがわかる。

しかし、親が複数の子をそれぞれ同じように愛するように、女性に対する愛も独立的でないのも不自然でないように思う。

ましてや、その愛が「憐憫」と「思惑」によるものならばますますありうべきであるようにもおもえる。

ここでアグラーヤに対する愛を「思惑」と書いたのは、ムイシュキン公爵は結論すると「誰でも一様に愛せる」のだ。

だから、アグラーヤでなくとも同じように深く愛することができるに違いない。

とすると、彼女やその家族の意思の働きによってそうした流れに乗る形で彼の愛が示されたに過ぎないように思えるのだ。

僕はこのことに大いに賛成する。

なぜなら、僕は美しく、かわいらしい女性が好きで、愛してさえいるのだが、その一定値を満たしていれば誰でも愛せるという気になってしまう。

この一定値というのは重要で、これをなくしてしまうと、すべての人を本当に一様に愛せてしまうことになる―という点で僕はまったく不義な人間といわなくてはならないが、この社会にあって多少の不義がなくてなぜ生きていかれよう、多少の区別のようなものは必要なのだ。

彼女も好きだけど、あの女の子も好きだというのはムイシュキン公爵のとはまったく違うのだろうか?

ここには決してやましいものはないのだから、違いはないといってもいいのではないだろうか?

すばらしい女性はたくさんいる、それをひとつだけの愛に昇華させるというのはすごく難しいのではないかと僕は悩むのだ。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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