『直接に関係しないところへの無関心や無責任は許すべからざる愚行である』

『ぼくの考えでは、こっけいに見えるということは、ときとして結構なくらいですよ、かえってよりいいくらいですよ、なぜって、おたがいに早くゆるし合って、早く和睦ができますからね。

だって、一時になにもかも理解することはできませんし、またいきなり完全からはじめることもできませんものね!

完全に到達するためには、その前に多くのものを理解しないことが必要です!

あまり早く理解しすぎると、あるいは間違った理解をしないとも限りませんからね。

ぼくがみなさまにこんなことをいうのは、みなさんが多くのものを理解し、かつ……理解しないことに成功されたからです。


おお、あなたがたは自分を侮辱したものも、また侮辱しないものをも、忘れてゆるすことのできる人です。

じっさい何よりも困難なのは、侮辱しないものをゆるすことです。

なぜというに、侮辱しないものに対する不満は、根拠のないものだからです。

つまり、こういうことをぼくは上流の人々から期待したので、ここへ着てからも、それをいおうと思ってあせりましたが、どういっていいかわからなかったのです……』   『白痴』より



善良な市民、これこそがまず僕たちの意識すべき到達点であるように思う。

現代では市民という考え方、概念は影をひそめ、個人的経済活動という一面が色濃く僕たちの目に映る。

こっけいという言葉が特に日本ではなじまれないものという気がしてならない。

言語の意味としては、こっけい=ユーモラスとなると思うのだが、微妙な違いを感じるようである。

もうすこし負のイメージが含まれているのであるが、これがかえってとてもよく、この場面のいわんとしていることを表わしているように思い、訳者の力量かドストエフスキーの表現によるのかそれはわからないが、新たな人間のもちあわすべき感情を示してくれたように思う。

そういう意味で、この物語中でムイシュキン公爵はこっけいそのものであり、数々の困惑と情感をかもすわけであるがいかにも優れているではないか。


僕たちが例えば『光』を想像した場合、必ず暗闇の中に一筋か、あるいは一点の光を描くのではないだろうか、しかし、本来『光』とはそういうべきものではないということ。

これを完全になぞらえて考えてみることで僕は自分なりに解釈してみた。

「光あるうち光の中をすすめ」ではないが、光は対照として見出すものでもなければ、なにかの反作用として考えるべきものでもない。

ただあるべきもので、闇と光を同質に見出すとするならば、これは間違った理解である。

善や真理、美しさなどはそのまま『光』といっていい。

悪の反対に善を見出す、醜悪さの反作用として美を感じるというのは誤った認識である。


『じっさい何よりも困難なのは、侮辱しないものをゆるすことです』

いじめがなくならないのはまさにこの一点に帰着していくように思われる。

逆に言えば「いじめ」という語句自体がそうした独特の響きをもっていないだろうか?

反抗でもなく、仕返しでもない、根拠のない、あるいはよくわからぬ精神作用によって突如引き起こされる暴力的感情である。

匿名性に安心するがごとく、侮辱などの根拠なきところに攻撃するという快さが人間の醜悪さのなかに含まれているとしたらこれはなんとしても克服しなければならない!

どれだけこの世界で根拠なき争い、実質なき惨劇が繰り広げられていることだろう。

直接に関係しないところへの無関心や無責任は許すべからざる愚行である。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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