スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『烈しい闘いの終り』 祖父と肺がん

『お前たちの頑是ない、驚きの眼は大きな自動車にばかり向けられていた。

お前たちの母上はさびしくそれを見やっていた。

自動車が動き出すとお前たちは女中に勧められて兵隊のように挙手の礼をした。

母上は笑って軽く頭を下げていた。

お前たちは母上がその瞬間から永久にお前たちを離れてしまうとは思わなかったろう。

不幸なものたちよ。


それからお前たちの母上が最後の息気を引きとるまでの一年と七ヶ月の間、私たちの間には烈しい戦が闘われた。

母上は死に対して最上の態度を取るために、お前たちに最大の愛を遺すために、私を加減なしに理解するために、私は母上を病魔から救うために、自分に迫る運命を男らしく肩に担いあげるために、お前たちは不思議な運命から自分を解放するために、身にふさわない境遇の中に自分をはめ込むために、闘った。

血まぶれになって闘ったといっていい。

私も母上もお前たちも幾度弾丸を受け、刀創を受け、倒れ、起上り、また倒れたろう。


お前たちが六つと五つと四つになった年の八月の二日に死が殺到した。

死が凡てを圧倒した。

そして死が凡てを救った』   有島武郎著『小さきものへ』より



今となってはずいぶん昔のことのような気がする。

僕は幸いにも物心のつくまでどころか、ものの分別がつく年頃まで親、兄弟、祖父母が健在であった。

そんな光に包まれた日々を送っていたある日、祖父に癌が見つかった。

それはまったく予期していない出来事で、その診断が下された検査というのも、祖父の持病である耳の不調のために行われたものだったのだ。

当時は祖父もまだ若いおじいちゃんに入る年齢であったため、それほど心配をされなかった―早期発見であったことも医師から伝えられた。

肺がんであった。

タバコを吸い、酒も飲み、美食家であった祖父は癌になる人の典型とも言えるのかもしれない。

癌には口が三つある、それはこうした意味を案じているというのだ。

当時は―といっても10年ほど前だが、切除手術が一般的であったので(今も通常はそうであるに違いない)すぐに手術が施された。

結果は成功で家族は胸をなでおろした。

僕ひとりをとってみれば、大した心配も、実際的意味合いも理解ができていなかったので、胸をなでおろすほど不安を抱いてはいなかったことを覚えている。

しかし2,3年も経たぬ内に病魔は再び、今度は確実にその仕事を成し遂げんとするかのごとく襲い掛かったのだった。

それからの2年くらい―そうであったか定かではないが―の闘病生活はそれぞれに当人に近ければ近いほど辛く苦しいものになっていった。

母の泊り込みでの看病の日には兄弟で家事分担しながら、寂しい夜も過ごした。

学校から帰り、宿題などの生活の合間には回復を祈る千羽鶴も少しずつ折ったものだった。

その当時のなんと健気で、頑是無かったことだろう。

「祖父危篤」の知らせを聞いて、僕は枕を涙でぬらしたことを今でもはっきりと覚えている。

その前日、僕は学校のキャンプに参加していたのだが、その日にも危険な状態に陥ったということを帰ってきてから聞いた。

楽しんでいる僕を引き戻すことは忍びなかったのと、いくらか余裕もあったのでそうしたのだそうだ。

車中で祖父の死を知らせる電話が鳴り、その内容を聞かずとも誰もがそのことを悟った。

深夜1時になる少し前であった―……

僕は人生で初めて慟哭した。

胸が苦しく、一緒に過ごしたわずかな時間が美しき思い出となって脳裏に鮮やかに浮かび上がった。

そしてそれが完全に隔絶されたありえない現象として理解されたとき、人生の恐ろしさと悲しさを深く味わったのだった。

いつもは冷静な父も少しばかり動揺しているように見えた。

病院は暗闇の中に粛然とそびえていた。

病室は重篤患者であることを意味する個室であり、その付近は独特のあわただしさに包まれていた。

ベッドの周りをはすでに家族、親戚の何人かが囲んでおり、その状況とそぐわない静けさが悲しさよりも不気味さを少年の心に醸させた。

初めての死顔であった。

温かみのある人ではなく、単なる有機体の物質となったその肉体にぼう然と向き合うことしかできなかった。

怖気をふるう程冷たかったあの感触は生涯忘れられぬ。

好きだった祖父であるにもかかわらず、その額に触れることに不安と穢れを痛烈に感じた。

そしてはっきりとこんな自覚が脳内を占領した。

「がんとの長かった闘いが終った。

それは死という形でもたらされたのだ。

こうなるよりなかったろう、これ以上なにができたというのか。

望まない結果であるが、望ましい結果なのかもしれない」

少年にはこう感じるよりほかなかったのかもしれない。

看病に熱心であった母は人一倍、いやはかりしれぬほどの悲しさと無念を感じていたようだった。

祖父の兄弟が、そうした母の働きをよく理解し、

「本当によくやってくれたよ、すごく喜んでいたし、喜んでいるに違いない。

こればっかりは仕様のないことだからね。

ありがとうな」

という言葉をかけていた。

母はしばらく顔を上げることができなかった。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。