『ぼくのゼスチュアは観念を卑しいものにする』

『きのうアグラーヤさんが、ぼくにものをいうことを禁じて、話してはならないテーマさえ指定されました。

そんなテーマに触れると、ぼくがこっけいに見えるということを、よく知ってらっしゃるからです!

ぼく二十七ですが、まるで子供のようだってことは、自分でも承知しています。

ぼくは自分の思想を語る権利を持っていません。

これはずっと前からいってることです。

ぼくはただモスクワで、ラゴージンとうち明けた話をしたばかりです……ぼくらはふたりで、プーシキンを読みました。

すっかり読みました。

その男はなんにも、プーシキンの名さえ知らないのです……ぼくはいつも自分のこっけいな態度で、自分の思想や大切な観念を、傷つけやしないかと恐れるのです。

ぼくにはゼスチュアというものがありません。

ぼくのゼスチュアはいつも反対になるもんですから、人の笑いを呼びさまして、観念を卑しいものにするのです。

また適度という観念がありません、これがおもな点なのです、これがむしろ最もおもな点なのです……ぼくはいっそ黙ってすわってたほうがいいくらいです。

それは自分でも知ってます。

隅のほうにひっこんで黙っていると、かえってなかなか分別ありげに見えるくらいです。

それに、熟考の余地がありますからね』   『白痴』より


僕はこれを思想、観念に関する事柄ではなく、恋愛においてなぞらえることができるのではないかという気がした。

愛だとなんだか、意味深長になりすぎるきらいがあるので、好きという感情にしたほうがよさそうだ。

ひと目見て好きになったり、ある行動がきっかけで意識するようになったり、あるいは好感をもつようになって、好きという感情にいたるという場合があったり、長年の友人関係から発展したりとさまざまに恋愛感情の芽生えはあるように思うが、それを語るのは権利云々の前に野暮だといわなければならないかもしれない。

しかし、うぶであったり、打算的、戦略的恋愛に頼らない、自己陶酔に近い恋愛を望んだりする場合には得てして、こうしたゼスチュアにおける過ちを犯してしまいがちである。

肉欲的、打算的恋愛でない、正直で純情な恋であることをその達成のためといわんばかりに、披露するような言葉や行動―ゼスチュアはほとんどの場合にその観念を卑しいものにするであろう。

これは男性に限ったことではなく、むしろ女性にとっては教訓的であるかもしれない、ほとんどの人間がそうした感情に訴える他者の言動や心情を拒む、本質をそなえているように僕には思えてならない。

女の子と席を共にしたり、場を過ごす場合に僕はどうしても、『この広い世界で、どれだけの人と会話を交わすことができるだろう?

ほんとうにわずかである。

それだからこそ、一期一会を大切にしなければならない』

という思いにかられ、つい饒舌になり、話さなくても良い自身の日常や嗜好、また相手の人となりにいたるまでほぼ初対面にもかかわらず打ち解けようとしてしまう。

結果は、ほとんどが気まずい後味を残すようなものとなってしまい、僕の自分では尊ぶべき観念がなにかいやらしいものになってしまっていることに気づくにいたる。

だから、僕みたいなちょっと気取ったまじめは黙って座っていて、当たり障りのない会話に徹するのがもっとも快さと成果を生む第一のことであるのだ。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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