『白痴』ドストエフスキー著 作者の偉大な才能の片鱗

『あの不仕合わせな女は自分が世界じゅうでいちばん堕落した、罪ぶかい人間だと、深くふかく信じきっているのです。

ああ、あの女を辱しめないでください、石を投げないでください。

あの女はいわれなくけがされたという自覚のために、過度に自分を苦しめているのです。

しかも、どんな罪があるんでしょう。

ああ、まったくそら恐ろしい!

あの女はひっきりなしに逆上して叫んでいます、「わたしは自分の罪を認めるわけに行かない、わたしは世間の人の犠牲だ、放蕩者の悪党の犠牲だ」と叫んでいます。

しかし、人にはどんなことをいうにもせよ、あの女は自分からさきに立って、自分のいうことを信じていないのです。

それどころか、心の底から自分を……罪深い人間だと思いこんでるのです。

ぼくがこの迷妄を追っ払おうとしたとき、あの女の苦痛はじつに極度にまで達して、ぼくの心はあの恐ろしい時代のことを覚えているあいだは、とうていいやされそうもないほど傷つけられてしまいました。

まるでぼくの心は永遠に突き刺されてしまったみたいなのです。

あの女がぼくのところから逃げ出したのは、なんのためかごぞんじですか?

つまり、自分が卑しい女だってことを証明するためなんですよ。

しかし、なにより恐ろしいのは、―あの女がそれを自分でも知らないで、ただなんとなく卑劣な行為をしでかして、「ほら、おまえはまた新しく卑劣なことをした、してみると、おまえはやっぱり卑劣な動物なんだ!」

と自分で自分をののしりたい、必然的な心内の要求を感じたために逃げ出した―その事実なんです。

おお、アグラーヤ、あなたにはこんなこと、おわかりにならないかもしれませんね!

しかし、こうして絶え間なく自分のけがれを自覚するのが、彼女にとってはなにかしら不自然な、恐ろしい愉快かもしれないんです。

ちょうどだれかに復讐でもするような快楽なんですね。

ときどきぼくはあの女が、周囲に光明をみるようになるまで導いてやりましたが、すぐにまたむらむらと取りのぼせて、果てはぼくが一般たかくとまって澄ましてるといって、ひどくぼくを責めるようになりました(ところが、ぼく、そんなこと考えてもいなかったですよ)。

そして、ぼくの結婚申し込みに対して、こんなことをむきつけていうんです―わたしは高慢ちきな同情や、扶助や、ないしは『ご自分と同じように偉くしてやろうという親切』なんか、けっしてだれからも要求しません、なんてね。

あなたはゆうべあの女をごらんになりましたが、いったいあんな仲間といっしょになって、幸福を感じてるとお思いですか、いったいあれがあの女の伍すべき人たちでしょうか?

あなたはごぞんじないでしょうが、あの女はなかなか頭が進んでるんですよ、なんでも理解できるんですよ!

ときどきぼくもびっくりさせられることがあるくらいです!』   『白痴』より


ドストエフスキーの作品を読んでいると、つねに読者を意識した構成をしており、「親切な作家だな」という感じを受ける。

というのは、この場面のように人物の言動の根拠、あるいは説明を物語内で人物に語らしてくれたりするからである。

ここに限らず、特にこの『白痴』では物語の人物の思惑、行動が錯綜しているために、そうした解説のようなものが特に見受けられるように思う。

また、そうした解説の役割のみならず、読者が陥りがちな自分自身の興味のある事柄のみに意識を集中して、物語を曲解、あるいは偏った読み方をするということを抑制し、修正してくれる。

それと同時に、場面場面を仕切っているので、焦点を当てるべき登場人物の言動、及び心情、概念へと自然に導いてくれる。

もうひとつ、この場面から受ける強い印象は、彼がまぎれもなく秀でた心理分析と描写が可能な優れた作家であるというものだ。

『思うことはたやすい、しかし言葉で説明することは困難である』

無意識というものに初めて実践的に研究したのはフロイトであるというのが一般的見解であるが、ドストエフスキーにも近しいそうした概念があったのだろうと見受けられる。


ドストエフスキーに少しばかり目を向けてしまったが、ここではあの女であるナスターシヤから受ける印象を考えてみなければならない。

ムイシュキン公爵が「あの女はなかなか頭が進んでるんですよ、なんでも理解できるんですよ!」といっているように、ナスターシヤは

『自分自身を理解し、客観的事象としての自分を理解し、世間や周囲の人びとがどのように彼女を理解しているかをも理解している』

そうした自分自身を納得させるために行動するのだが、周囲の人びとは彼女が彼らを理解するよりも低いレベルでしか自分自身を理解することができない。

だから、彼らには彼女が狂っているようにみえる、しかし公爵はそれを見抜いている。

たくさんのことを理解していながら、無知と誤解のなかで生きることはこの上ない苦痛・困難であり、とてつもないエネルギー、善意を要する。

そうしたことがこの一節によって、簡潔にかつ分りやすくかかれており、ただただ感服するだけだった。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる