『美しき言葉、高邁なる思想は風薫る太陽の下で』

『たいていのひとは、家とはなにかということを考えてみたことがないらしく、隣人たちとおなじような家を自分ももたなくてはならないと思いこんだために、一生、しなくてもいいはずの貧乏暮らしを強いられている。

まるで、仕立て屋が仕立てた服なら、どんなものでも着なくてはならないみたいではないか!

あるいは、シュロの葉の帽子やウッドチャックの皮のふちなし帽をしだいに遠ざけておきながら、王冠を買うゆとりがないからといって、世の憂さつらさを嘆くようなものではないか!

いま自分がもっている家よりもずっと便利で贅沢な、ただし、買える人間などいそうもないことがだれの目にも明らかな家を設計してみることはできる。

われわれは、いつもそういうものをもっと手に入れようとつとめているが、ときにはいまもっているよりも少ないもので満足できるようにつとめてみたらどうだろうか?

ひとかどの市民が、例のもったいぶった口調で、格言や実例を引き合いに出しながら、若者に向かって、死ぬまでには予備のオーバーシューズを何足、こうもり傘を何本、頭のからっぽな客を迎えるためのからっぽな客間を何室用意できるようにがんばりなさい、などとお説教していてもよいものだろうか?


目下のところ、われわれの家は家具類でごったがえしており、けがされている。

有能な主婦ならば、そういうものをおおかたごみ溜めのなかに掃き捨てることで、朝の仕事をさっさとかたづけてしまうだろう。

私はかつて、三つの石灰石を机の上に置いていたことがある。

だが、心という家具のほこりはまだまったく払っていないのに、これらの石ころのほこりは毎日払わなくてはならないことがわかって恐ろしくなり、いや気がさして窓のそとへ投げ捨ててしまった。

こんなありさまだから、私に家具つきの家などもてるはずがあろうか?

私はむしろ戸外に座っていたい。

人間がそばで土でも掘り返さないかぎり、草には塵ひとつつきはしないのだから』   『森の生活』より


本当に恐ろしいことに、自分の立派な家の中で過ごす時間よりも、それをもつため、そしてそれを維持するために費やす時間の方が多いという人がどれほどいることだろう!

「家には眠りに帰るようなもので、ひたすら仕事に明け暮れたもんだよ」

こうしたことを誇る人も誇る人だし、そうした人を立派なすばらしい人だと賞賛する風潮に僕はなんとなく違和感を感じる。

仕事はたしかにすばらしいことだ、それは大いに認めるし、僕自身がそうしたことに無精なのでたくさん働いている人には頭の下がる思いがする。

大げさではなく、僕はそうした人びとに謝りながら自分の生命と時間を享受しているといっても間違いではないと思う。

やるべき仕事はたくさんある。

世界の平和、環境保全、道徳の向上など多方面において、『やるべき』仕事はたくさんある。

考えてみればだれでも自分なりの価値観で発見できるものだとおもう。

しかし、現実に今、日本社会で営まれている仕事はやるべき仕事というよりもむしろ、ナショナリズム的傾向、あるいはもっと細かく、利己主義的な動機によってなされている仕事が多いように思う。

人間的生活、道徳の堕落を後押しするような仕事、あるいは自然、環境を破壊するような人間本位の仕事、そしてそうした仕事によって産出される労働者の疲労、あるいは廃棄物に対する処理的意味合いの仕事など、それらはとどまるところを知らない。

また身近な問題をひとつひとつ解決していくという僕たちにとってもっとも重要な課題をこなすことなく、ただ日本をよくしよう、あるいは世の中に意味のあることをしたいなどと見当はずれな現実逃避をしている愚かな人たちも多いように思う。

宗教問題だ!社会が悪いんだ!僕らには何ができるのだろう!

と叫ぶのは自由だが、まず自分自身の心を穏やかにコントロールできているだろうか?

続いて、家族内を平和であったかいものにできているだろうか?

僕はいつも思うのだが、『家庭でさえ幸せで、すばらしいものにすることができないのに、社会という大きなものをすばらしいものにできるはずがない』

自分の部屋はきれいだろうか?

自分の家のトイレをきれいにつかえなくて、どうして公衆トイレをきれいにつかうことができるだろう?

『大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです』   マザー・テレサ


まったくそのとおりだと深く感動した言葉だ。

僕たちひとりひとりができることなどたかが知れている。

だからこそ、小さなひとつひとつの積み重ねを、丁寧に手抜きせずにこなしていくことが大切なんだ。

世界における、一部の若者のあいだではミニマル主義というようなものも流行をみせているようで、自分の生活に必要最低限のもので暮らしていくというスタイルをとることで、その身軽さゆえの自由と新たな価値観の発見ということにつながっていくようだ。

僕らは飽食の時代、ものが溢れている次代にやや慣れてきたようである。

日本人は本来的に得意である、引き算による美しさと、快適さという生活に少し戻ってみることが必要であるかもしれない。

「おまえの言うことはまったく机上の空論、若者によくある、世間知らずの甘い考えからでる、思い上がった、取るに足りない空想だ。

だいたい、その理屈でこのざまじゃないか、俺は結果を出していない理屈など認めない」

この言葉は心の奥深く突き刺さった。

若さというのはそれだけで、不利な立場に立たされている。

結果がでていないといわれても、どのように結果を出せばよいのだ?こんな短時間で??

形でしか人間がものごとを評価できないことを僕は知っているが、まさかそれほどまでに愚直な!

そんな僕がいわゆる偉人の名言を引用したところで、全否定されるのは経験上目に見えている。

そして、まったく僕の尊敬していない成功者の、独りよがりな、名言を引っ張り出してきて断言するのだ。

「おまえは間違っている、わかったか」

僕はそれ以来、心を閉ざすことになったのはいうまでもない……

美しき言葉、高尚なる思想は風薫る太陽の下でしか口に出したり、それをもとに行動してはいけないのだ。

でなければ、曲解や誤解、歪曲を生んでしまう。

そうすれば、僕は罵声を浴びずにすむだろう、失望もせずにすむだろう。

心の中ではすばらしい言葉をつぶやくことも、高邁なる精神を空想することも許されるのだ。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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