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青春のわずかなきらめき 『若きウェルテルの悩み』

≪もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ≫

という表紙の文言に惹かれ『若きウェルテルの悩み』を手にしたのは、大学一年の初夏のことだった。

恋愛に特別な感情、興味を抱いたことのなかった僕が、初めて知った情熱的な恋。

それは早くも暗礁に乗り上げ、懊悩が募るばかりであったのだ。

まさに若き悩みの只中に僕自身がいて、その伴侶として『ウェルテル』があった。

勿怪の幸いであったかもしれないし、終いに起こる破局への魔のささやきであったのかもしれない。

今となってはいずれにしても、青春のわずかな発光、きらめきである。

当時僕はウェルテルを少なからず羨んだ。

彼は少なくとも恋する人と言葉を交わし、その家を訪れ、時を共に過ごすことができたのだ。

そのことがより一層恋慕を募らせ、苦悩を深くしたことは当然のことであるが、少なくない幸福を味わうことを許されのだから。

僕の場合はまさに、迷妄、倒錯に陥り、その中で『ウェルテル』という毒までも吸い込んだ。

しかし、大いに慰められ、感動の涙まで流した!

これほどまでに鮮やかに死という破滅の一途をたどる物語は他に類がないであろうし、後味の悪さを残さぬ、潔き青年の自己破壊は強固なる自己信頼の裏返しでもあろう。

今回でたしか読むのは3度目になるが、そのときどきによって僕の立場、状況は異なっていて、以前はウェルテルの側に立って、読むことができたのに、今はアルベルトに近いのではないかという空恐ろしさが心の深奥に芽生えた気がした。

僕は今、愛に倨傲し、形式的にそれに答えるという大人の安直さに抗うことなくしたがっている。

考えてみれば、これは恐ろしい。

しかも、そうした形式的愛の方が長続きし、安泰を約束するというのは皮肉である。


若々しく、情感と希望に満ちていたウェルテルが叶わぬ恋をつかもうとし、つかの間の幸福を青年特有の貪欲さで独占と継続を望み、行動する姿はすべての青年にとって他人事ではないだろう。

そんなウェルテルが社会道徳に破れ、死を決意するにいたって感じる自分にとっての自然、生命体としての自分自身。

『このように目が醒めて眼をひらくのもいよいよこれが最後です。

霧がかかって濁った空を蔽っているので、私が太陽を見ることは、ああ!

もう二度とありません。

自然よ、おまえの子であり、友であり、恋人であった者が終焉にちかづいているのだもの、かなしんでくれ!』

不幸のうちの歓喜の中にあって死を迎える青年は弱く美しい。

『あなたが美しい夏の夕べ、丘の頂きに立ったときには、どうか私のことを、私もよくその谷を上ってきたことを、思いだしてください。

それから、落日の影のさなかに風の吹くままに高い草がゆらぐあたり、墓地をながめて、私の墓の方を見はるかしてください。

―書きはじめたときには落ちついていたのですが、いまは、いまは、子供のように泣いています。

こうしたことがすべてまざまざと、目のあたりに見えてくるものですから―』

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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