『空想は世界に広げる純白のキャンバス』


『ぼくは外国にいるあいだ、ほとんどいつも同じスイスの片田舎に暮らして、ほんのときおり、どこかあまり遠くないところへ出かけるだけでしたもの、何をお教えできるもんですか。

はじめのうちは、ただ退屈しないというまででしたが、からだのほうはずんずんよくなりました。

そのうちに、ぼくは毎日の日が貴く思われだしました。

日がたつにつれていよいよ貴くなってくるのが、ぼく自身にも気がつきました。

毎晩、満足しきって床に入るのですが、朝目がさめたときは、もっともっと幸福なのでした。

なぜそうなのか、―それはかなり説明が困難です』

『それで、あなたはどこへもいらっしゃらなかったんですね、どこへも行きたいとはお思いにならなかったんですね?』とアレクサンドラが問いかけた。

『はじめのうち、ごくはじめのうちは、まったく行きたいと思いました。

そしてぼくは激しい不安に陥りました。

どんなふうに暮らしたものかと考えたり、自分の運命を試してみたかったりして、ときおり非常に煩悶したものです。

あなたがたもおわかりでしょうが、よくそんなときがあるものです、ことにひとりきりでいるとなおさらね。

ぼくのいたその村に滝が一つありました。

あまり大きくはなかったが、白い泡を立てながら騒々しく、高い山の上から細い糸のようになって、ほとんど垂直に落ちてくるのです。

ずいぶん高い滝でありながら、妙に低く見えました。

そして、家から半露里もあるのに、五十歩くらいしかないような気がする。

ぼくは毎晩その音をきくのが好きでしたが、そういうときによく激しい不安に襲われたものです。

それからまた、よく真っ昼間にどこかの山にのぼって、大きな樹脂の多い老松に取り巻かれながら、ただひとり山中に立っていますと、やはりそうした不安が襲ってきます。

頂上の岩の上には中世紀ごろの古い城の廃址があって、はるかしたのほうにはぼくのいる村が、見えるか見えないくらいにながめられます。

太陽はぎらぎら光って、空は青く、すごいような静けさがあたりを領している。

そのときです、そのときぼくはどこかへ行きたいという気持になりました。

もしこれをまっすぐにいつまでもいつまでも歩いて行って、あの地と空が相接している線の向こうまで行ったら、ありとある謎はすっかり解けてしまって、ここでわれわれが生活しているより百倍も千倍も強健で、にぎやかな、新しい生活を発見することができるのだ、というような気がしました。

それから、しじゅうナポリみたいな大きな町が空想に浮んできました。

その中には宮殿、喧騒、轟音、生命……なんでもあるといった具合に……ほんとうに、なにやかやいろんなことを空想しました!

それからのちになって、ぼくは牢屋の中でも偉大な生活を発見できると考えるようになりました』   『白痴』より


つねに自分の生活や人間性に疑いを持ち、不安になる。

これが自分の求めてきた生き方、人生なのだろうか、そも生きるべき人生というものがあるのだろうか、人生をそれほどまでに重宝する必要が本来あるのだろうか。

自分が意識をもつようになったとき、すでに世界は存在していた。

光があり、山があり、水を欲することが自明であった。

自意識が発展していくこと、それは世界が細分化されていくということ。

はじめ、世界は光だけであって、しばらくして闇が訪れた。

それは昼と夜、世界は単純に二分されて、僕の眼前にあった。

それはどうしようもない、自分の力の及ばぬところに厳として存在していることであると、無意識のうちに知り、あるとき認識するに至った。

三食の食事という人間生活のルールによって世界は三つに分かれた。

次に、夜、昼、学校、食事と四つに分かれた。

こうして一日は細かく分けられていき、その一日は一年の中にきっちりと365分割されて収まっていた。

ところが、年数を経たあるとき、一年が366日である場合が規則的にあることを知り、世界はそのように複雑に見えるようになっていった。

また、もう一つ大きな視点でみると、そこにも四年に一度という規則を見出すに至った。

僕は人生や生活をシンプルにしていくことで充実や幸福を実現できるのだと考えてきたのだが、実際のところ顧みてみると日々の色分けを細かくしていくことで人生をなるべく細分化していき、その結果量的豊かさをそのまま幸福ということに結び付けてしまっていたという矛盾にぶつかった。

ムイシュキン公爵(先ほどの引用中の人物)が至った心境というのは、たんなる空想ではない空想を現実に投影した高次元の精神作用であるように思う。

時間や空間というものに僕たちはクセでつい、捕らえられてしまうわけだが―最近は遠く見晴らせる丘も星屑ちらばる夜空を眺める畦道も多くはなくなってしまった。

見えるものはつねに現実であり、経済の回転である。

僕たちにとって今は見えぬ世界などという大いなる希望が奪われてしまった!

海の先に何があるのだろう?

争いに満ちた、醜い世界があることを僕たちは知っている。

星空の向こう側はどうなっているのだろう?

人知を超えた不可解な物理現象の始まりから続く加速度的運動である。

空想は純白のキャンバスだ、現実的、物質的理解はそのまえにごたごたと並べられる障害物に過ぎない。

そうしたものによって僕たちは一層空想も、希望も見えなくなってしまっている。

もういちどそうした純白の空想を広げてみること、それは大いに生活を豊かにしてくれるだろう。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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