コミュニケーションの本質


『あなたとぼくとは、うわべから見るとまるで種類が違った人間です……

その、いろいろな点から見てですね。

だから、とても共通点などはたいしてなさそうに思われます。

けれど、ぼく一個としては、こういう考えかたは信用していないんです。

なぜって、われわれが共通点なんかないと思っている場合にも、案外それがあるもんですからね……

これは人間の無精からおこることなんです。

人間というものはうわべばかりでいろいろに分類されちゃって、その奥に隠れているものを認めることができないのです……』  『白痴』ドストエフスキー著より


現代はコミュニケーションの方法が多様化していて、対話のみならず、音声のみの電話や字面のみのメールといったように限定的なものであってもその種類も色々である。

それぞれに特有のアイテムによって成り立ち、その用法はコミュニティ単位によっても異なっているというようになかなかに難しい面も含んでいる。

そういう見た目、イメージによって、とっつきにくかったり―僕自身もそうだが、SNSやLINEといった場やツールに対して消極的である―するが、大事であり、かつ人々の要求するところのものはその中身であり、どのようにしてや何によってということは実のところ関係のないようである。

現に、僕は自分がこうしてブログというアイテムによって、少なからずおなじような手法をとって表現をしている方たちと交流するようになるとは想像さえしなかったのだが、やってみると案外楽しく、実りある時間や他者との交わりが実現できているわけだ。

その重要な要素は、自ら積極的に発信し、接触を試みようとする姿勢であるように思う。

会話と違い、時や場といった細かな制限が設けられておらず、相手に大きな自由度を持たせた接触というものが可能なのである。

問いかける姿勢と、誠実にそれに答える心構え、相手に関心を持って、互いを知り、相手を通して、世界を眺め、知ろうとする好奇心。

そうしたものによってコミュニケーションを行おうとすれば、どうしてうまくいかないことがあろう?

僕たちはすぐに身勝手に、杓子定規、偏見、先入観に縛られ、コミュニケーションをおろそかにしてしまう。

愉快な会話は本来相手を選ぶべきものではない、それは田舎のローカル線など旅先において実感することだ、その土地の話や相手の近況などを話していると思いのほか愉快に会話ははずんでいく。

相手本位にたって世界を眺めてみようという余裕を持つと、自然と自らも愉快になるのだろうと思う。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる