夏目漱石『彼岸過迄』 登場人物の厚みが足らない 余裕と血みどろの間


僕は少なからずこうして至って真面目に自分の思いや出来事を綴っている。

そうであるから、できることならば文才と多彩な言い回し、表現を駆使しながらできるだけ思いをそのまま損なうことなく表すことができたらとおもう。

そうした思いから、小説を読むときにはその話の筋やテーマのみならず、どのように書かれているか、そのひとつひとつの表現、言葉にも注意して教科書を読むように読む。

そうした日本語表現を学ぶ上で適した教科書となりうるのは夏目漱石の作品であると僕は考えているし、感じている。

森鴎外や三島由紀夫も同様に優れていると思うが、好みの関係で僕は漱石を一番に置く。

文学史では漱石には大きく分けて、前期三部作、後期三部作という二つが存在する。

僕は久しい以前に『三四郎』『それから』『門』の前期三部作をその流れを汲んだ上で読んだ。

そして後期三部作の最後とされる『こころ』は高校の授業で読んだほか、それ以後も3度ほど読み返したとぼんやり記憶している。

僕にとってこの作品はかなり大きな意味を持っていて、もっとも好きなものの1つである。

にもかかわらず、僕はこの後期三部作というものに対して毫も関心を抱いていなかったように思う。

それは、この『こころ』が独立した圧倒的存在感を僕の中で有していて、それに対して外の要素との連関を持つことを必要としなかったからだ。

しかし、先ほどいった教科書的意味で文章を欲したときその後期三部作に取り組んでみることはあつらえ向きであるという思いに至った。

そうした経緯によって今回『彼岸過迄』を読んだのだ。

僕は読んだ作品のあらすじを書き起こしてみることに興味を持たない。

また、その作品を分析し、論じてみることもまた好むところではない。

それに触れて、僕自身が何を感じ、どのように読んだのか、一体それは僕にとってなんであったのか?というような問題、事柄について書いてみたいのだ。

僕は今までに一般よりかは多く、漱石の作品を味わう体験に浴したと自負している。

そしてその作品中の人物の誰彼に自分の内心の反映や小気味よさを感じて、いつしか漱石を敬愛するようになっていた。

そんな彼が書いた『彼岸過迄』は今までとは少し違った印象と読後感を僕に与えた。

始まりのほうでは敬太郎が主人公のごとく見え、僕の意識は彼へと吸い付き、その姿勢で以て読みすすめることとなった。

またステッキが話の結末において、もしくは物語中で大きな事件の因子であるとの予想を自分の中でたてていた。

しかし、これらはまったく裏切られてしまった。

須永の煮え切らない感じはどうしても僕には理解ができなかった。

しかし、僕の友人のBに非常によく似ていることを発見した。

それは後のことであったのだが。

千代子もまた、卑屈を持たない控えめな女性性の持主であり、これは必ず不幸を生むに違いないとの思いを僕に抱かせた。

またこの作品以上に、漱石のまどろこしさと文章の贅肉を感じたものはない。

あえて穿たなくてもよい内情を穿ってみたり、ことさらにリアリティの構築を行っていたように思う。

登場人物の多さと描いている世界観のわりに人物の厚みが足らないという感じを感じざるを得なかった。

敬太郎が演じている役割を云々することは陳腐であり、またつまらないことであるように思う。

すべてをバランスよく書き上げ、問題を取り上げたがゆえのぼんやりとした読後感。

漱石の余裕と身を抉るかのような真にせまる厳しさのどっちつかずの作品といえよう。



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる