親不孝と無精

『だから僕は母をできるだけ大事にしなければ済まない。

が、実際はおなじ源因が却って僕を我儘にしている。

僕は去年学校を卒業してから今日まで、まだ就職という問題について唯の一日も頭を使ったことがない。

出た時の成績は寧ろ好い方であった。

席次を目安に人を採る今の習慣を利用しようと思えば、随分友達を羨ましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。

現に一度はある方面から人選の委託を受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえ有っている。

それだのに僕は動かなかった。

固より自慢でこう云う話をするのではない。

真底を打ち明ければ寧ろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引込み思案なのだから不愉快である。

が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持て囃された所で何処がどうしたんだという横着は、無論断わる時から付け纏っていた。

僕は時めくために生れた男ではないと思う。

法律などを修めないで、植物学か天文学でもやったらまだ性に合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。

僕は世間に対しては甚だ気の弱い癖に、自分に対しては大半辛抱の好い男だからそう思うのである。

こういう僕の我儘を我儘なりに通してくれるものは、云うまでもなく父が遺していった僅かばかりの財産である。

もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦わなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改めて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分の我儘はこの財産のためにやっと存在を許されているのだから余程腰の坐らない浅墓なものに違いないと推断する。

そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる』   『彼岸過迄』夏目漱石著より


僕に限ったことではないかもしれないが、とにかく夏目漱石の著作に登場する主人公及び中心人物は僕自身の投影であるかのごとく内面をそなえている。

また僕はこうした糸口なしになかなか自分の内面や心情を引き出せないことに気恥ずかしさを感じるとともに、浅はかさを痛感する。

僕はこの一節から高校時代と大学時代を思い起こさずにはいられなかった。

高校3年になって受験生となり、周囲が志望校を決め、進路を考え出していったときに僕は成績を上位で維持することだけを考え、大学のことについて頭を使ったことがなかった。

センター試験にしても内申書にしても並以上ではあったから望むならば周りが望み、目指しているような国公立大学も難なく行けたように思う―旧帝大ほどのレベルは厳しかったに違いないが。

推薦という話も進路指導の先生には進められたこともあった。

僕は大した理由もなく推薦という制度が嫌いであった。

考えてみれば何処というはっきりした志望校がないわけだから推薦というセフティーな選択に甘んじることが気に食わなかったのだろう。

僕は動かなかった。

クラスの皆が試験に奮闘し、進路についてナイーブになっている中、早くも浪人を決め込み、残りわずかの高校生活をぼんやりと眺めるのであった。

先生は最後まで僕にやる気の起こることを期待した。

僕はやる気がないわけではなかったから、固より先生とは懇談のときなどあまり取り合わなかった。

両親は勉強のための環境づくりに積極的に協力してくれたことを今でもよく覚えている。

それはその先に大学や将来役立つとの思いがあったからであろう。

それを思うと当時の僕はすこし胸が苦しくなった。

それでも浪人のすえになんとか大学へと進学することとなった。

僕は血迷ったことに二浪も厭わないと両親にたてをついたこともあった。

僕の元来の性質は全く変っていないのだから、大学時代にもまた同様な境遇へと歩を進めていった。

就職を考えないどころか、卒業さえ考えていなかった在学中の僕に、大学生活がそう長く続こう筈がなかった。

大学へいけたのも僕の家庭が並以上に裕福であったからに違いない。

そんな大学の卒業を考えないという傲慢ぶりといったら我ながら人畜のきわみである。

こうして呑気に文学まがいのことをやっていられるのも、要するにそうしたたまたま恵まれた環境に立たされ、両親の骨折りに乗じているに過ぎないのだ。

朝夕に気骨を折って、唯生きるために働くということに僕はどうしても首を縦にふることができなかったのだ。

自由と時間が僕にとっては限りなく貴重に思えて、それを一片一片、剥ぐように捧げることにしかどうしても我慢できないのだ。

ある意味で僕は不運であった。

もし医学や数学などの一心に身を呈して励むような学問から仕事へと進んでいくことができたのならば、きっとまわりや少なくとも家庭を幸せにできたに違いないのだ。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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