人間とは『体温を上げて、それを保つ必要のある有機体』
これから書くことは当たり前のことだからって目を通していただいた方は気を悪くしないでもらいたい。
なぜそんな当たり前のことをわざわざ勿体をつけて記事にしようというのか?
私たちは、それがどんな優れた賢人であっても、思考の流れというようなものを持っていて、ひとつ所に留まることはない。
それは双眼鏡を覗き込んだときに必ずどこかに焦点が合っているように脳内にある思想体系の中のどこかにたまたまそのとき照準があっているだけなのである。
今、僕は当たり前のことを書くといったのだが、すでにそのことは僕の思想体系の中に含まれていて、「もちろんその通りだとも」と尋ねられれば容易に答えられるような性質のものである。
しかしながら、そこに照準が向いていなければ決して自分の脳内に実感を持って上ることのない、いわば埋まったままの思想なのである。
だからこそ、自分でこうした当たり前のことを自らの手で掘り起こして明るみに出してみたことは意味があるだろうと思うのだ。
『人間が外の動物と異なる点は衣服を着ることと、そこらに生えている雑草を食べることによって命をつなぐことはできない』
これが僕の思考に上ったある思想要素である。
当たり前だといって、本当に笑われそうなのだが、人生のおおよその縛りはこのことから引き出されているように思うほど、大事な概念であることはたしかだ。
衣服を着なければならないことはすなわち、自らの体温を保つことが難しいため、体温を保つ必要があるということだ。
衣食住と言われるところの、衣と住はまさに体温を保てないことによるものだ。
ここで気がつくことがある、では食はなんなのか?と考えをめぐらす前に、
食こそは体温を作り出すための燃料であるにすぎず、とどのつまり人間とはなにか?の哲学的命題に対して堂々と、
『体温を上げて、それを保つ必要のある有機体』
となりはしないだろうか?
僕が目指す生き方、『シンプルに生きる』ために最低限必要なのはこの体温に関係するものであることがわかった。
どれほど時代が流れようともこれはゆるぎない人間の条件として私たちの前に厳然と立ちはだかり、苦しめ続けるだろう。