『嵐が丘』エミリーブロンテ著 女性作家の作品について

サマセット・モーム著『世界十大小説』の中でそのひとつに数えられる作品。

世界的に見て女性作家の手による作品では抜群に名の知れた作品であろう。

恥ずかしながら、僕はそれなりの文学と限定しての読書遍歴を持ちながらこの『嵐が丘』をようやく今になって読み終えた。

その理由として大きな要因は「女性作家の手による作品」であることだ。

僕がたしか、初めて読んだ文学上の女性作家は「樋口一葉」であった。

日本文学上では近代以降で最初の職業女流作家として知られていることもあり呼んでみようと思ったのだ。

それからしばらくしてジェーン・オースティン『高慢と偏見』を読んだ。

また時をあけてエミリー・ブロンテ『嵐が丘』を読んだ次第だ。

これでようやく僕も自分に女性作家に対して見解を述べる権利を得たと自認するわけであるが、ひょっとすると男性と女性を区別するなど低劣であるとの意見ももたれるかもしれないが、僕はそこに線引きをせずにはいられない。

まず感じるのは、表情、動作についての描写が細かく、具体性に富んでいることだ。

目の動きや口元の動きなどの表現は僕が思い描く以上のリアリティを持っていて、イメージがつかめないほどであることもあり、その優れた観察力に脱帽する思いだ。

また、言葉のやりとりについても直接的な意味を持たないような会話を巧みに配置し、絶妙なニュアンスを引き出すことに成功している。

見えているものを掘り下げ、技巧的に表現することなく、内的心情を論理立てて論じることをしない。

だから、そういった作品を多く読んできた僕には『嵐が丘』は少しばかり労力を使った。

女性作家は全体や細かなところを拾い、描くことで感情や根拠を示すことができてしまうのだ。

さて、『嵐が丘』についてであるが、登場人物のすべてが偏狭であり、またその語り手による語りによって物語が進む形式であることが僕と登場人物との隔たりを大きくしたため、のめりこむことがあまりなかった。

特に、ヒースクリフの愛が砕かれ、それが憎しみとなってそれが悪魔的に常軌を逸したものとなる感情の飛躍にはどうも納得することができなかった―納得するとかしないの問題ではないのだが、僕がリアリストであるゆえ、興味が薄れたわけだ。

全体の時間軸と配役、人物の出し入れは傑作映画を見ているようなすばらしいものであり、エミリー・ブロンテの才能に驚いた。

無駄な場面が本当になく、うまく完璧なまでにまとめられた構成、すごかった。

終始幸福な人物があらわれない悲劇。

この物語で幸せをつかんだものは存在していない。

それでも、終盤のヒースクリフが復讐に勝る自分自身の苦悩によって外見上穏やかになり、キャサリンとヘアトンにささやかな平静がおとずれる場面は緊張のとける一種の小気味よさをもたらしてくれた。

この独特の読後感がもっとも評価すべき点ではなかろうか。

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非公開コメント

ありがとうございます☆

嵐が丘読まれたんですね・・・
MAILありがとうございます。
嬉しかったです。

かつてのゼミ仲間(男性)に
殆ど同じような理由で感想を求められたことが
懐かしく思い出されました。

確かに
この小説は特殊だと思っています。
構成も危うい
尚、語り手が三人称の一元視点
ゆえ解り辛い・・
感情の変化に飛躍を感じる要因のひとつは
ここにあるのかもしれません。

ですので
男女に限らず
幾度かの挫折^^の上
漸く読破とか
結構聞きます

感情移入できないままに
hajimeさまはよく耐えられたと・・
私なら完全に挫折パターンです(笑

相性もあると思います。
共感できないものはできない
それも立派な読後感だと・・。

ただ
自身の場合に限って言えば
所謂”古典と銘打たれるもの”に於いては
初回で受け入れられなかったものが
時の流れ、人生経験、読書遍歴の末に
共感へと変わっていったことは
少なくないんです・・。

"嵐が丘"の登場人物理解の難解さ
これまでにも数えきれないほどの
論文や研究書が残されていますが
未だに決定的解釈とされるものがない
そんな作品ゆえのものでもありましょう。

そもそも
原作者が
ちょっと恐いくらいの”意思の人”で
立ったまま死ぬと言って
実際立ったまま死んじゃったという文字通り凄いひと。

こうしたエピから伝わってくる雰囲気は
作品にも表出している箇所ありますよね(笑
実際私も受け入れ難かった部分もなくはなくて。
そうした時には
細部にこだわるより作者の総意を受け取るように
心がけ(無意識に自身でアレンジし)ながら読み進むのも
アリかななんて思っています。
そして
幸いにも原書は英語
原書なら日本語より馴染むのは事実です。
解り易い例をあげると
英訳”源氏物語”
この宇治十帖パーツでの匂宮の浮舟への行為
これをたった一言rapeと翻訳されていたあの洋書に触れた時の
あの衝撃、その受け入れ難さ・・・
こちらは
その逆バージョン的なものも少なくありません。

hajimeさま
そして実は私も
基本はリアリストです。
バランス・・とか謂いながら
目茶目茶
地に足付いちゃってます
残念ながら(笑

ですが嵐が丘はいけました。

かつて
同じ校舎に学び
放課後図書館の窓辺から眺める校庭
サッカーボールを追う彼の姿にドキドキしながら
手元の本を読む・・・。
部活が終わるのを待って
二人マックで宿題に試験勉強・・・
毎日が
ほんとうに楽しくて。
けれどそうした
充たされた日常からは
決して得られないような
根源的愛の世界が
嵐が丘の物語にはあった
・・・・・
それに気づいたのは
それから随分あとのこと
でした・・・。


これでもかと謂うような描写に
なりふり構わない著者の筆致
であればあるほど
作者エミリーの心の叫びが聴こえてくるようで
足が竦んだ・・・

書物の偉大さ
説明する類のものでもないように思うのですが
hajimeさまに共感してテクストに纏めてみました。
少々長いので4回に渡って
私のblogにてupさせて戴きます。
お時間或る時に遊びにいらして下さいね。
saki

ありがとうございます


お返事していただきありがとうございます。
僕の言わんとしていることを十二分に汲み取っていただけたようでとても参考になりました。

文学はそのときどきにによって解釈が異なり、また一度目より二度目の方が細かなニュアンスなどにも意識が向き、読解を深めることができるのは経験からいっても納得のいくことであります。

ですから、また時を置いて、その間に経験と読書を積んで、読み返してみたいと、読み返してみようとsakiさまのお言葉から決心がつきました。

エミリーがそれほどまでに意思の人だとは知りませんでした、衝撃的ですね。
モームだったでしょうか、小説を読む上で作者の人となりや経歴を知ることは意味を持つというようなことをいっていた人は、定かではありませんが、そうした知識がなかったことも共感、関心に至らなかったことの原因であるように思います。

僕自身、ややマゾヒズムな気がありまして、ダンテ『神曲』を岩波文庫で読み、その世界観、難解さゆえに(まだ読書歴の浅いときでした)ちっとも入り込むことができず、ただ字面をなぞるような読み方しかできていなくて、苦労でしかなかったのですが読破できてしまうんです。
ちょっと誇らしくあるかもしれません・・・。

sakiさまにメールを差し上げてから、ハッとしたことがありました、それは概念を自分のものにしていないにもかかわらず、sakiさまの記事に感化を受け、安易にリアリストであると断定してしまいました。
無暗にそう判断したわけではないので、まったくの見当違いではありませんが、おそらくsakiさまの概念とは大きく差があると思いますし、反省です。

源氏物語についてのその訳出における難しさと影響、考えてみるとなるほど、実感はもつことができませんが、想像に難くないといいますか、納得がいきました。

sakiさまのような先輩がいらしてくれて、お言葉をいただけることに感謝しています。

blogの記事、さっそく読ませていただきました。

『嵐が丘』から僕は自然とsakiさまを連想してしまうでしょう。
そうした違ったきらめきが添えられたこの作品は僕にとって大事な、印象深いものとなりました。

No title

ご丁寧なご返信ありがとうございます。
hajimeさまがここに記されたこと
終始、聡明なスタンスで在られるhajimeさまのような
方とこの先もずっと
意見交換させて戴けたなら
楽しいだろうと思っています。

hajimeさまの過去記事に
トルストイに言及された教授がいらっしゃいました。
ここはひとそれぞれ好みがあるのでしょうけれど
全否定、しかもその表現方法が哀しくて
hajimeさまもトルストイも気の毒で
あのエピは読んでいて辛かったです。
つい・・トルストイに代わって(笑
真理を啓かにしたくなったりもするのですが
大抵の場合は徒労に終わるんですよね^^

あのような方とは
どんなに語り合っても話が噛合うことはなさそう・・。
そんな時は
住む世界が違うと考え
距離を置くほか手立てはなさそうです。

実は今回の”嵐が丘論”の記事に
似たようなメッセージを戴いたんです。
切なかったです。
そんななかで”嵐が丘論”書いてしまったので
もしかして
hajimeさまのようなご立派な方が読んだ時に
失礼があったのではと
申し訳なく思っています。

難しいですね・・
書き言葉は。
本当に・・・
日々反省です。

確かに
音楽や絵画に説明は不要でしょう。
(解説を求める勉強家の方も多くいらっしゃいますが^^)
その鑑賞者が
感性で受けとるそのままで良いんですよね。
100人いたら
100通りのベートーヴェン
100通りのモネがいていいのかと。
文学もしかりでしょう。
・・ただ
テクストには文脈や意図が存在するんですよね
この辺りは
音楽や絵画とは少し差異があるのかと
思っています・・・。

Re: No title

僕にとってsakiさまがどれほどの励みとなっているか・・・ちょっと想像もできないほどだろうと思います。
ブログ楽しみにしています。
記事はもちろんのこと、どの写真も美しく、色味やシーンをとらえる視点にうっとりしてしまいます。

きっとsakiさまのお書きになる文章から受ける印象はsakiさま自身の美点の半分も表わしていないと思いながら読んでいます。
文章というのはそれほどまでに不安定なもの、言葉もそうですが、書き言葉ならなおさらですよね。

ヘッセに関する記事、そして今回の嵐が丘論・・・クオリティが高すぎて無償で読むのが申し訳なくなります。
下手な有料メルマガよりどれほど有益か議論の余地なしです。
ありがたい、幸せです。いつもありがとうございます。
きっと多くの人にそうした喜びを与えているブログですね。

しかしながら、そんな記事に切ない反応があったとは僕としてもやや残念です。
人それぞれ好みや趣向が異なるので、私は本は嫌い、おしゃれこそが美徳だわくらいに思っている人などがいますが、それでも僕は文学や詩情こそ世界における最上のもの!と断言してはばからないつもりです。

明確な根拠はないのですが、僕の良心がそう叫ぶのです。
では、そうした流行に流されるだけの人たちにもそうした良心の叫びがあるのでしょうか?
これは僕にとって大きな謎です。
もし、そうした叫びが聞こえていないというわけならば、気づかせてあげる意味として僕が文学をすすめたり、自分でやってみたりすることは益があるように思うのです。
しかし、それぞれに住む世界が違うということで良心の声が異なるとしたら、もうどうしたらよいのでしょう、僕にとって世界が一気に暗転してしまいます。

100通りのベートーヴェンとは気持がいい感覚ですね。
音楽や絵画の美しく、安心感と癒しをかもし出すゆえんはここにもあるでしょうね。
ベートーヴェンやモネが話題に上がることがとてもうれしく、楽しいです。

文学が芸術と呼ばれないゆえんはそこにあると僕自身かねてから感じています、なんせ"学"がついていますもの、思考と思想なくして文学を味わうことは難しいでしょうね。
そういいながら、僕にはそうした文学的知識が乏しいので、日々精進です。

お久しぶりです☆

こんにちは
こちらの
http://erishiho.blog.fc2.com/blog-entry-439.html
嵐が丘の記事に接し
hajimeさまの
この季節を想いました・・・
私は女性だけれど
男性同志通じ合う部分は
あるのかなって・・・。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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