不安は先入観と偏見から 夢、価値の発掘


『たいていの人間は、静かな絶望の生活を送っている。

いわゆるあきらめとは、絶望の確認にほかならない。

ひとは絶望の都市を出でて、絶望の田舎へ行き、ミンクかマスクラットの勇気に出会ってみずからを慰めるほかはない。

人類の競技や娯楽の底にも、きまって無意識の絶望がひそんでいる。

そこには歓びがない。

歓びは仕事のあとにくるのだから。

ともあれ、絶望による行動はしないというのが、知恵のひとつの特徴である。

教義問答ではないが、人間の第一目的はなにか、生活のほんとうの必要物や手段はなにか、といった問題について考えてみると、ひとびとはありふれた暮らし方がなによりも気に入ったからこそ、それを意図的に選んだかのようにみえる。

ところが彼らは、それよりほかに選択の余地がないと思いこんでいるのだ。

しかし、注意深くて健康な人間ならば、太陽が昇ってすべてをくまなく照らしていたことを忘れはしない。

偏見を捨て去るのに遅すぎるということはないのだ。

思考や行動の方式は、いかに古くからのものであれ、証拠なしに信じることはできない。

今日はだれもが口をそろえて正しいと言い、黙認していたものが、明日はまちがいだということになるかもしれない。

むかしのひとができないと言っていたことでも、やってみればできることがある。

むかしのひとにはむかしの、いまのひとにはいまのやり方があるのだ。

老人は教師として、青年以上に適任であるとはいえないし、かえって劣るかもしれない。

年を取ると、獲得したものよりも失ったもののほうが多くなるからだ。

最高の賢者にしても、生きることによって絶対的な価値をもつなにかを学び得たかどうかは、はなはだ疑わしい。

老人は事実上、青年に対してほんとうにたいせつな助言を与えることなどできはしないのだ。

彼ら自身の経験はごく限られているし、その人生は、ひとには話せないわけがあって(と、ご本人は思いこんでいる)、無残な失敗に終っているからである。

なかには過去の経験を批判し得るだけの誠実さを失わず、単にむかしよりも年を取っただけ、というひともいるかもしれない。

私はこの地球上に三十年ほど生きているが、年長のひとから価値ある助言はおろか、真剣な助言ひとつ受けたことはなかった。

彼等は適切なことをなにひとつ言ってくれなかったし、そうしたくてもできないのであろう。

ここに人生という、私がまだほとんど手をつけたことのない実験がある。

だが、以前にだれかが手をつけたからといって、こちらの役に立つわけではないのだ。

もし自分でも価値があると思われる経験にぶつかるとすれば、それは私の指導者たちが一度も教えてくれなかったものであることに、きっと思い至るだろう』   『森の生活』より


僕たちを不安や憂うつに引き込むものは偏見や思い込み、先入観にすぎない。

そのことにどれだけのひとが気がつかずに、かえってそうした偏見や先入観によって人びとは互いに足を引っ張り合い、自由を奪い、根拠のない義務を背負わせていることだろうか。

活字離れが広がっていることや、ブログでアフィリエイトによって稼ぐ!など消極的内容にしろ、積極的内容にしろそれらはある点からみた相対的な傾向であって万事がそうであるわけではなかろう。

自分の心からやりたいと思うこと、自分のありたい姿、自分が望む生き方を探究し、実現するための試行錯誤こそが人生なのだ。

僕はこう考えてきて、今一度自分の夢、目標について考え直してみた。

I have a dream.

私には夢がある、キング牧師の演説を思い出し、youtubeで見直してみたが、何度見ても心に響き、強烈に訴えかけてくるメッセージだ。

まず、僕自身の心を美しいものにしたい。

そのためには言葉や風景、建造物や音楽、あらゆる五感に迫って、恍惚感を引き起こすものを集めなければならない。

また、それ以上に生身の人間との係わり合いによって、刺激しあい、そこから美しき感情や親切が生まれるような関係を他者と築きたい。

しかしながら、そのためには彼らもまた美しき心を持っていなければならない道理である。

僕はあまり他者から輝き、きらめく宝のごとき言葉や思想、ふるまいを受けたことがない。

みんな自己中心的でわがままなのだ。それも当然のことである。

でなければ、とっくに聖人として、もしくは優しき人、正しき人として重宝されているはずである。

僕も独りよがりのわがまま人間にすぎず、何の役にも立っていないので大きいことはいえないし、それは恥辱である。

その美しき心を完成させ、それを伝えられたらどれだけすばらしいことかと思う。

僕はその美しき心から発せられる言葉を綴る、見聞きし、わかった景色や建物、食物の美しさ、おいしさ、すばらしさを伝える。

僕はそれらによって美しき心を築いたのだから。

そして、日本三景や日本三名園など、優れた事物をくくる文化が日本にはあるが、僕もそうした自分自身の価値基準による景勝を見出し、あらたな観光スポットになるほどの影響力がもちたいと夢見ている。

実際に、日本三名泉、日本三滝などあらゆるこうした指標は時の風流人や教養ある人によって見出されたものであるはずだ。

それはあらたな活性を生むだろうし、新たな価値を作り出すということはとても意義のあることだと僕は考えている。

なにかを創造することはもちろん偉大ですばらしいことであるが、価値の発見、または再発見や再構築などは無限の可能性を秘めており、大いに期待するところである。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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