『不自由や不便は感謝や喜び、いたわりの心を呼び起こす』


完ぺきな人間なんていない。

今までにどれだけの教育者や周りの大人たちに言われてきた言葉だろうか。

こうした完璧を前提とした物言いが腑に落ちなかったので少なからず反抗心を抱いたものだった。

最善を尽すことと完璧を目指すこととをごちゃ混ぜにしてしまっている!

僕は常にとはいえないまでも、できるだけ―その意味でも最善を尽すといえるのかもしれないが―何をするにしても最善を尽そうと考えていた。

だからうまくいかないときでも、気分を損ねたり、落ち込んだりすることはなかった。

大体僕たちは目に見えることから、それはその本質や内的要素を10分の1も表わしていないのに、あたかも10分の12、もしくはそれ以上だと思って、判断してしまうのだ。

学生時代なら、イケメンで成績がよければ、さも完璧な人間であるかのような羨望の的、周りの人間にとっては劣等感の原因ともなってしまう。

完璧という意味は、あらゆる点において優れているということであるのだが、僕らが有形であり、有機体である以上、無限に分割可能である。

すなわち、優劣評価する対象が無限に存在することになり、そのすべてにおいて優と認めることは現実的ではない。

例えば、足が悪い人もいれば、美肌でない人もいる。

病気がちの人もいれば、髪の毛の少ない人もいる。

そうやって考えていけば、自分がどんな欠点を持っていようとも、それはある程度仕方のないことであるし、また欠点を持っている相手に対してもその優越を超えて、偏見や先入観を持つこともないであろう。

たしかに、物事には残念ながら程度がある。

重い障害があるのであれば―やはり健常者という区別をやむなくするのであれば、不自由を感じざるを得ないし、できないことなどもおきてくる。

しかしながら、僕たちは心で生きていると僕は思いたい。

そうした不自由や不便を感じることは感謝や喜び、いたわる心を呼び起こす。

私にはなにもできないとある人はいうかもしれない、だけれど、まだ僕が到達できていない、精神的な高み、豊かな心を持ってすれば、僕たちに見せることの世界を僕たちに示して見せることだってできるのではないだろうか。

程度の差があると僕は言った。

つまり僕にもそうした世界を、それほどまですばらしく、美しいものではないにせよ見せることができるはずだ。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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