『目には目を、歯には歯を』 復讐心を解放する絶対者なる神 信仰心の尊さ


僕たちが持つ残虐性の一つに反抗心、復讐心というものがある。

古代ハンムラビ法典にある『目には目を、歯には歯を』との記述はあまりにも有名で、人間にはつねに「罪と罰」、「権利と責任」というような背中合わせの、表裏一体の社会ルールが運命付けられている。

他者との関わりを持たずして生きることはできぬから、生きることは自己責任と他者の権利を認めることを必要とする。

しかしながら、誰しも人間であるから―人間である所以、不完全性、偶然性を持つ―失敗や意図せずとも他者を害する場合が生じてしまうことがある。

その害を元通りにするという償いをできるのであれば、どんなことがあろうともその償いを果さなければならないが、僕たちが時間という絶対機軸を持っている以上、元通りに、つまり時計を元に戻すことを要するような償いは不可能である。

極端に押しすすめれば、害、被害の問題は、損をこうむる被害者が不利な立場に立たされてしまうのだ。

この世界の矛盾と不完全さよ!

いつだって早い者勝ち、やったもの勝ち、逃げたもの勝ち、傷つけたもの勝ちということがこの世界ではまかり通る。

不注意者によって、健全なる人間が害されるのをどれだけ見聞きしたことだろうか!

こうした感情を少しでも和らげるために、―完全に消し去ることなど不可能だ!理不尽さや不条理をゆるすことなどできない!―神の如き完全なる、絶対的な庇護者を考え出すことはあながち間違ったやり方ではないように思う。

つまり神はいかなる悪もお見逃しにならないし、事の成り行きすべてをお見通しでいらっしゃる。

私は害せられた―これにはいかなる解決策も見出しえないかに思えるが、科学の発展や技術の向上によって少しずつその痛みや苦しみ、不具合を和らげる方向に進むことは可能だろう、それこそが科学や発展の意味であるといってもよいくらいだ―、それは耐え忍ぶしか、運命を悔やむしか、能動的には方法がないようにおもえる。

だが、二重に僕たちはその加害者への憤り、復讐の念に駆られてしまう。

最高点まで達すると、相手を殺さなければ気がすまないというところまでいくこともしばしばあるようである。

このとき、先ほど考え出した完全者なる神に裁きをお願いしようではないか!

まったくキリスト教、聖書を読んでいるように思えるかもしれないが、これは本当に信仰心とは別にしても優れた発明であると考えられる。

戦国時代などの歴史を紐解いていると、よく仇討ちを息子や家来が果すところに出くわすが、こうした感情を神の裁き―加害者が不遇や不幸に陥ること―によって解消するのだ。

そんな正当な裁きがありうるだろうか?と問うのであれば、それは完全者というものを曲解しているのだ。

なににもまして信仰心の尊さはここに存するのではないかと思う。

その裁きの上から己の身勝手、自己中心的な考え、ただ欲求を満たしたいという独りよがりによって手を下すのはこれも同様に卑劣な所業であるといえるだろう。

それは何の解決にもなりえないところからみても、それは納得できるのだ。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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