成功に必要なのは真面目さではなく本気になること 若く思慮深い男子同士は主張しだすと対立を避けられない


『すべての芸術は社会の経済機構から放たれた屁である。

生活力の一形式にすぎない。

どんな傑作でも靴下とおなじ商品だ、などとおぼつかなげな口調で言って飛騨をけむに巻くのであった。

飛騨は、むかしに変らず葉蔵を好いていたし、葉蔵のちかごろの思想にも、ぼんやりした畏敬を感じていたが、しかし飛騨にとって、傑作のときめきが、何にもまして大きかったのである。

いまに、いまに、と考えながら、ただそわそわと粘土をいじくっていた。

つまり、この二人は芸術家であるよりは、芸術品である。

いや、それだからこそ、僕もこうしてやすやすと叙述できたのであろう。

ほんとの市場の芸術家をお目にかけたら、諸君は、三行読まぬうちにげろを吐くだろう。

それは保証する。

ところで、君、そんなふうの小説を書いてみないか。どうだ。



青年たちはいつでも本気に議論をしない。

お互いに相手の神経へふれまいふれまいと最大限度の注意をしつつ、おのれの神経をも大切にかばっている。

むだな侮りを受けたくないのである。

しかも、ひとたび傷つけば相手を殺すかおのれが死ぬるか、きっとそこまで思いつめる。

だから、あらそいをいやがるのだ。

彼等は、よい加減なごまかしの言葉を数多く知っている。

否という一言をさえ、十色くらいにはなんなく使いわけて見せるだろう。

議論をはじめる先から、もう妥協の瞳を交わしているのだ。

そしておしまいに笑って握手しながら、腹のなかでお互いがともにともにこう呟く。

低脳め!』   太宰治著『晩年 道化の華』より


ああ、芸術と経済の矛盾よ。

芸術と生活の矛盾よ。

金になる芸術を望む卑しき願望が僕の心に巣くいつつあるように思うのだ。

だから書いているものは心惹くものでなく、ただ宙を舞うごみとなるばかりなのだ。

僕はごみを懸命に生み出しているに過ぎないのだ。

市場の作品を夢見て、そして市場に上がらない作品こそくずである。

市場に上がらないのであれば、芸術性を求めて、その芸術性のある作品をつくる努力をしたらどうなのだ。

芸術家であろうとするならば、まず自分が芸術品でなくてはならない道理だろう。

小説を書き始めて数行で打ちやるのは、執筆でもなんでもない遊びにもならない愚劣な戯れだ。

読み手がたくさんあるかどうかではない、それが真理に貫かれた芸術性をもっているかどうかなのだ。

それは真面目さではなく、真剣さ、本気になることである。



友は正直に告白した。

「お前と議論して、その後に考えることは自分の考えを正しく主張できたかどうかであって、お前が言った言葉によってなにか考え直したり、思い返したりすることはない。

つまり、議論は俺にとっての自己主張の舞台であってお前は単なる聴衆に過ぎない。

聴衆であるならば、俺である必要はないではないかとお前はいうだろう。

お前にはその義務があるのだ。

なぜならば、お前の主張も俺は聞いているのだから」

僕は友をわからずやだと思った。

おそらく友も僕のことを低脳のわからずやだと思ったことだろう。

若く思慮深い男子同士は主張しだすと対立を避けられない。

気がつくと僕はそうした議論の場や酒を酌み交わすことを遠ざけていた。

それも卑屈な自分を認めたくないから、どこまでいっても自分はエゴイストであった。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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