『人として生きるとは思い、考えることである』


太宰治の『思い出』は少なからず僕を励ました。

彼ほどの感受性と知力と能力をもってして完成しうるあれほどの作品―鮮やかかつ繊細に、光を当てられた彼の人生という名の舞台の如き作品であるから、僕が日々を綴ったり、過去の出来事の回想を著すことはそれだけで十分であるように思われる。

僕は頼りないことに、ただ何かを書き残すだけでも十分に意味があると信じている。

それならば、誰もが学校で作文や小論文などを書くではないかと人はいうかもしれない。

だが、僕がいう「何かを書き残す」というのはあくまで自主的な、能動的に行われた場合の著述であって、そのように限定すれば誰もが経験のあることだとはいえないだろう。

よく人は「なぜ生きるのか」と問うものだが、それ以前に「自分は生きているのか」そも「生きているとは何か」と問うべきである。

『人として生きるとは思い、考えることである』と僕は定義したい。

思い、考えることが人として生きることであり、それを客観的に証明することの一つに著述があると考えるのだ。

この著述ということはあたかも大層なことであるような印象を与えるが、もっとも単純な方法である。

その意味は著述は誰にでも可能であり、これよりも高次元なものは、具体的な形態をもつ物体にその思想を留めるということである。

我が子を育てる、これはまさに思想の反映である。

また何か形態をもつ作品を制作する。

それが絵画であれ、オブジェであれ、そこには自ずと作者の思想や理想が影を強く残すであろう。

教師となって、生徒に思想を伝えることも、その「生きること」を証明することと同等であろう。

太宰治はその『もっとも単純な「生きること」の証明』を艶やかな筆致で達成し、その意義を実証した。

そうした彼ら力ある著作家が大将、副将であるならば、僕は先鋒でありたい。

そして、哀れにも柔弱な一矢を報いたいと思う。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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