夏目漱石『中身と形式』 日本国憲法と日本の借金


『元来この型(形式)そのものが、何のために存在の権利を持っているかというと、前にも話した通り内容実質を内面の生活上経験することが出来ないにもかかわらず(傍観者として)どうでも纏めて一括りにしておきたいという念に外ならんので、会社の決算とか学校の点数と同じように表の上で早呑込みをする一種の知識欲、もしくは実際上の便宜のために外ならんのでありますから、厳密な意味でいうと、型(形式)自身が独立して自然に存在するわけのものではない。

今日の社会状態と、二十年前、三十年前の社会状態とは、大変趣きが違っている。

違っているからして、我々の内面生活も違っている。

既に内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレて来なければならない。

もしその形式をズラさないで、元の儘に据えて置いて、そうしてどこまでもその中に我々のこの変化しつつある生活の内容を押込めようとするならば失敗するのは眼に見えている。

要するにかくのごとき社会を総べる形式というものはどうしても変えなければ社会が動いて行かない。

乱れる、纏まらないということに帰着するだろうと思う。

我々は現に社会の一人である以上、親ともなり子ともなり、朋友ともなり、同時に市民であって、政府からも支配され、教育も受けまたある意味では教育もしなければならない身体である。

その辺の事を能く考えて、そうして相手の心理状態と自分とピッタリと合せるようにして、傍観者でなく、若い人などの心持にも立入って、その人に適当であり、また自分にももっともだというような形式を与えて教育をし、また支配して行かなければならぬ時節ではないかと思われるし、また受身の方からいえばかくのごとき新しい形式で取扱われなければ一種いうべからざる苦痛を感ずるだろうと考えるのです』     夏目漱石講演『中身と形式』より抜粋改


率直に言って、現代日本社会はあまりにもおかしい。

このままでは失敗する、いやもう失敗している。

社会が動いていかない、その通り。

夏目先生、さすがです。

この『中身と形式』は個人から社会まで応用できる概念であり、また問題点を明らかにし、解決する方法としておおきな力を発揮すると思う。

というのは、中身と形式がピッタリしていないことによって問題は生まれるということを見事に発見し、それを証明しているからだ。

常に僕は個人ということを考えてしまうし、時々こうして社会を考えるとしても、まず日本社会を考えてしまう。

それはそれ以上広く、自分の感知しないところにまで考えを広げることは危険でもあり、また脆弱な考えに陥りがちであるからである。

なおかつあまり意味を持たない。

僕一人がどうこうできる問題について考え、行動したいのだ。

なので、自分の関係している部分のみでの日本社会について考え、『中身と形式』とからませてみたい。

僕たちが生きる絶対条件の一つに日本社会の制度に則らなければならないということがある。

諸外国にいけばまた、違うが、僕は当面は日本で生きて生きたいので日本の社会を考える。

この『日本社会の制度の根源、基礎をなすものは日本国憲法』である。

夏目先生は二十年、三十年で社会の状態は変わり、人びとの内面生活も変わるといっているが、日本国憲法ができてから七十年近くになり、社会の状態が変った上に加えて変った状態で、内面生活もまた変った上にまた変った状態になっていて、もうまったく原型をとどめていないほどではなかろうか?

大部分が変ってしまった。そういってもいいのかもしれない。

にもかかわらず、日本社会の根本である憲法は変っていない。

『形式』が『中身』が既に大きく変っているのに、そのまま押し通しているから引き起こされている問題も多くあろう。

社会をよくしよう、景気をよくしよう、ならば憲法を少しずつ変えていかなければならない道理である。

法律がその役割を果して、日々新たな法がつくられ、法整備に余念がないから心丈夫だというならそれは間違っているだろう。

間違ったものから、つくられるものはすくなからず間違いを含むであろう。

憲法の中に仮憲法というものを拵えてもいいであろうし、現状の法を遵守しながら、憲法改正を進めていくのも悪くないだろう。

そもそも、憲法が不変という認識もおかしい。

また憲法の作り手はGHQの監視の下つくられたと聞いているが、まったくおかしくはないか?

夏目先生がおられたら、現代をどのように見るだろうとよく考える。

辛辣に、またユーモアを込めて、批判なり、問題提起、指摘をなされるに違いない。

日本社会のおかしいところ第一は社会制度の根本『憲法』であった。

第二は、『お金』についてである。

僕たちが生まれてから、縛られるものといったら、この社会制度とお金による経済と家族であると考えている。

これらは避けようにも、どうしても避けることの出来ないものである。

社会制度のおかしいところは既に示したので、次は『お金による経済』である。

僕らは生活のためにお金を必要とし、そのために仕事をする。

仕事によって得たお金で、ものを買ったり、投資したり、貯金したりする。

お金がたくさんあれば一般的に幸せに暮らせ、少ないと不幸せな暮らしとなると考えられている。

だが、そもそもお金ってなんだ?と考えてみると、経済というみんなが生きていくために便宜的に拵えられた『形式』に外ならず、ちょっとここでいう『形式』とは異なっているが、形式に他ならない。

お金自体になることはできない、お金の実体は誰にもわからない、未知なる物であるように思う。

価値基準というものがかなりの自由度をもって相対的であり、把握の仕様がない。

それの証拠が、経済学者や金融専門家が多くいるにもかかわらず、好景気にすることもできず、景気や経済にほとんど影響を与えていないかに見えることである。

そして、こうした経済の中で、日本国自体の借金が800兆?を超えたとかニュースで見たが、社会の真理はまさにここにあって、『人は死に、社会は続き、人は生まれる』

ので、結局他を害さなければなんでもいいのだ。

借金をしていようが、金がなかろうが、成り立っていくのが社会のようである。

『中身と形式』とは本当にうまく言ったものです、夏目先生。

天文学的数字に伸びていく借金を生み出しているこの金融制度の『形式』を変える必要があるでしょう。

好景気、不景気・・・

経済に関しては中身というのが把握しきれない現状もあるだろうから適当にやってもらって・・・

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる