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さらば大学、さらば青春。 


『やっと来たか』

久しく顔をあわせていなかった教授から発せられたのは冷ややかな、侮蔑を含んだ言葉だった。

大学へ行かなくなって2年あまり。

その間には休学期間もあり、講義に出席せず、校内を放浪して過ごしたこともあった。

この侮蔑と屈辱が耐えがたく、退学できずにいた弱い自分があった。

退学には教授による意見書、事実上許可書が必要であった。

その教授が退学已むなしと認めなければ退学の許可が下りない規則となっていたのだ。

当時の僕にはそれは自らの誇りを傷つけ、卑下する行為に思えてならなかった。

それゆえに退学の意志を伝えたものの、正式な手続きを済ませずに半期を過ごすこととなった。

もちろん大学へは1日も行くことなく、日々読書や考察、仕事に教養を育てることに時を費やした。

学校からは休むことなく授業料請求の電話がかかり、通知が送られてきた。

当時、たまたま書店で「苫米地英人著 図解でわかる! 年収1億円プレーヤーの仕事哲学」という雑誌を読み、その中の

『借金取りは、平気で電話をしまくります。

どんどん督促状を送りつけます。

電話会社も電気会社も、平気で期限が切れると使用をストップします。

世の中、力に寄り添っている人間が、自分を守るために、弱い相手を平気で泥沼に落としていくのです。

これが社会だとわかっていれば、自殺する前に、「借金を返さないで自己破産で踏み倒してやろう」と考えるのが、実は、組織によりかかっている、どうしようもなく自分1人では生きていけない人たちに打ち勝つ、方法なのです』

という箇所とマッチしてそれらの電話や通知を無視して、そのまま2期授業料未納の場合、除籍処分になりますという学則があったので、それを適応してもらい、踏み倒してやろうと考えた。

しかし、やがて両親にまで催促状が届くようになった。

そして、終いには

「期日を過ぎると、延滞金が発生するので、早急に支払いいただけたらと思います。

このままいきますと、脅すわけではありませんが、裁判に掛けるというような手段を講じなければならなくなります」

大学は、学問の機関である前に、企業であった、法人であった。

そして、すべてを打ち明けなければならなくなった。

内心、こんな学校に在籍が残るくらいなら、除籍の方がよっぽどましだと高を括っていた。

大学側に出席も履修登録すらも済ませていないので、なにか配慮を願えないだろうかと問い合わせても、

「そちらは学務課の管轄でして、教務課からはなんともお答えできません」

という答えが返ってくるばかりで、その学務課に問い合わせてみると、

「そうした規則になっておりまして、それにしたがっていただくほかないとしかお伝えできません。

こちらではどうとも対処しかねます」との答えだった。

これが社会で、公務というものだ。

国公立大は役所と何も変るところがない。

授業料を払っている学生に対して、お客さまどころか、教育を与えてやっているのだという上位に構えて、権利をふるっている。

議論の余地すらなかった。学生は弱い立場に立たされていた。

「血も涙もない!」

冗談抜きでこんなふうに内心さけんだものだった。

ルーティーンとして講義を行う教授連に直接学費という名の給料を献上しているようで始終嫌な心持がしていた。

それでも母は、正式な手続きをして退学することを強く求めた。

「せっかく入学金を納めたんだから、出るならばしっかりと規則にしたがって出なさい。

組織に入ったら、そこのルールがあるんだから」

それはもっともではあったが、大学、学校という機関であるゆえ、一概にそうした常識とは相容れないところもあるような気がした。

「大学はひとつの隔離された社会だ」

というのが僕が在学して得た認識である。

何十万という半期分の授業料を授業を受けてもいないのに無駄に払うのは心苦しかった。

授業料は母に支払ってもらっていたが、これはもちろんのこと自分の貯めたお金から支払うことにした。

時間と労力を掛けて得たお金が無駄に消えることはなんともいえない気詰まりを残した。

振込みまでに何度も躊躇し、期限ぎりぎりになってようやく払い込みを終えることができた。

思った以上にすっきりした気分も、解放された心地もせず、ただ思い悩むことがなくなったなぁと実感するのみであった。

2日もするとすぐに、延滞金の請求書が届いた。

支払いに関する手続きの早さといったら、その無遠慮さに引いてしまうほどである。

払い戻しは渋り、請求するときは容赦なく手際よく請求する。

世の中とは、社会とは嫌なものだ。

僕がこうした少額ではないお金を支払ったのは、屈辱を甘んじてでも潔く物事にけりをつけることを望み、またこれを手切れ金、厄落としという捉え方をしたからであった。

これは僕の物語の第二章というべきものに終止符を打つことであった。

最後はしっかりと学生生活を締めくくろうと、その意見書を委ねる教授に都合の如何を聞くため丁寧なメールを送ったのだ。

「突然メールを送りして恐縮ですが、退学の際の意見書を書いていただきたく、都
合のよい日時をお教えいただけますでしょうか。

お忙しい時期とは思いますが、少しばかり時間をいただけるようお願いいたしま
す」

これに対する返事はなく、期日ぎりぎりにその教授の研究室を訪ねたところ、例の冷淡な言葉に迎えられたのだ。

教授たちはどうも虫が好かないと思っていたが、最後の最後までその印象を塗り替えてくれることはなかった。

いや、むしろその印象は最後に取り返しのつかないほどに決定付けられてしまった。

書類を作成するのに少し時間がいるから、掛けて待っているようにいわれた。

退学理由について聞かれ、本当の理由を告げぬまま、ただ「就学意欲がなくなったため」と説明した。

教授は僕の成績表を確認して納得いったようだった。

「21単位しかとれていないけど、どうしてなんだ?

第一志望の大学じゃなかったからか?」

「それも理由の一つではあります」と僕は声色を落とし気味に答えた。

教授は僕が自ら持参した付属の意見書に直接自筆で書することはせず、様式にそってワープロで打った意見書を出した。

一言、二言自筆で書いてくれればよさそうなものをまったく合点がいかなかった。

教授たちは形式を重んじるばかり、そうした実質的なやりとりすら事務的に行うのはどうしてだろう?

考えてみれば講義を授けたのは偏屈な連中ばかりであった。

僕が待たされた研究室の一隅には大きな水槽が置かれ、そのなかには熱帯魚や淡水魚ではなくイモリが水陸かまわず動き回っていた。

おなかにオレンジの斑があり、濃緑の水草に覆われた水槽内でひときわ不気味に映った。

「高校はどこに通ってた?」

「~高校です」

「ほぉ、優秀じゃないか。

やればできるのに、きっといい成績も収められただろう。もったいない」

僕はこのもったいないという言葉を何度となく聞いた。

自分の都合に合わせて口をそろえるようにもったいないと言う。

それは単なるしかも無責任な自己肯定である。

僕にいわせればそんなこと知ったことではない。

何に対してもったいないというのだ?

僕にはその言葉はもう半分以上耳に入っていなかった。

最後に教授はこんなことを言った。

「君はいつも後方の席に座って夏目漱石ばかり読んでいた。

今ややその印象しかない」

「ええ、そうでした。

あるとき先生にロシア文学がいいと勧められて、それからロシア文学もいろいろと読みました。

ドストエフスキーやトルストイ、ゴーゴリなんかを」

僕は親しみを込め、やや期待交じりに答えた。

「トルストイか、あんな退屈なものよく読めるな。

ドストエフスキーはおもしろいな」

この教授は本当に人の心がわかっていない。

最後に絶望した。

トルストイの作品を退屈なものとたやすく切りすてるとは、教育者としてなんたることだ。

さらば大学、さらば青春。

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No title

hajimeさまが尊敬できる先生が
学内にひとりでもいて下さったならと
悔やまれてなりません。

理不尽さを強く感じます。

教授、学務課、教務課
システマティックで責任の所在が曖昧という
現代社会の弊害までも顕れていて・・。

福島原発事故対応に当っていた
内閣官房参与が涙ながらに訴えられた辞任会見を思いました。
放射能拡散という最悪の状況下で
官邸及び原子力安全委員会、文部科学省、外務省・・・
といった行政機関が

”正義感、ヒューマニズム”に欠けていることを強く批判
されていたあの会見です。

東京大学大学院教授であり原子力専門家という立場あっても
全国規模のあらゆるメディアに乗せられていても
それでも無理が通れば道理が引っ込む・・・この社会

私は厭世的発言は極力控えたい主義ですが
これが現代の民主主義国家?
と叫びたくなる場面は決して少なくありません。

ほんとうに世の中不条理だと・・・。

けれど
だからこそ
私たちの様な人間は負けてはいけないとも思っています。
頑張らなければいけないと。

hajimeさま
私はあなたを応援しています。
心から・・・



Re: No title

sakiさま、コメントありがとうございます。

率直にうれしく、また感謝しています。

見識豊かなsakiさまには僕の言動がどのように映っているのか少し恥ずかしい気持があります。

ブログを通じてsakiさまと出会えたことは、今後の可能性と期待の裏づけとなり、モチベーションなどの好作用を生んでくれました。

『エストリルのクリスマスローズ』はいい見本となり、言い回しや語彙など、とても参考になります。

またヨーロッパに憧れと興味をもつ僕としてはそれらをすでに人生の一部分のごとく包容しておられるので羨望すらあります。

明日は3月11日、一連の対応や機関のあり方、自分と他人、中央と地方、多数と少数・・・

理不尽、運命、そうしたものへと「考え」、「思い」がリンクしていきました。

がんばる、戦うという気持ちは大人になったら薄れてしまうものなのだという自分の中で感じていましたが、sakiさまが負けてはいけないとおっしゃられることはとても大きな意味でした。

厭世的になることは生きること、自分自身の否定、矛盾であって、僕も厭世観はもたないようにしようと注意することにしています。

本当にありがとうございます。
応援していただけることに感謝し、幸福を感じています。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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