主義の確立への一歩 H.D.ソローを導き手として

前々回の記事で『人間はなんらかの主義の立場にたって生きなければならない』という自分自身の精神世界にとっては大きな発見があったことを書いた。

その結果、当然のことながら僕は自分の主義の確立を当面の最優先課題としなければならないという思いに至った。

その発見のきっかけとなったのはルソー著『エミール』の冒頭に書かれた名文だったのだが、それはその『自然を正しい』とする主義に疑いをはさむことによって生れた提言であったから懐疑的に主義の確立へと自らを導いていかなければならないと思った。

懐疑的にというと僕はデカルトの『我思う、故に我あり』までの思考段階に強く意識をひきつけられる。

そして、これは存在、認識についての道筋であり、もしその道筋を押し広げていき、懐疑的思考の末に主義を確立しようとするならばそれまでにとらなければならない手順はひどく複雑になるであろうと想像できた。

そういうわけで、ルソーの『自然は正しい』という主義に立ってみようと思ったのだが、この『エミール』が教育論であり、もちろんそこにはルソーの思想の根底にある要素が多分に含まれているが、僕が教育を論じる以前に、生活や人生を論じることすらできない意志と思考の弱さをもっているため、相応しくないように思えた。

しかし、この『エミール』のように適切な導き手なくして、懐疑的な思考段階を踏むことも断念した今、自分の堅固な思想を築くことができるであろうか?

やはり、そうした導き手に従いながら、そこに疑いや改善の余地を見出す方法をとったほうが、主義の確立の実現を果せるように思えた。

ではその導き手をどのように選抜したらよいだろうか?

それが続いての課題となった。

まったく無条件のままなにかを選定するのは困難で、またそれの効果を期待するのであればなおさらゆるぎない条件のもとに選ばれたものでなければ望ましい結果を得られないであろう。

では僕自身の主義に要求する条件とは、現在のところなんであるか?

それは『すべてはシンプルであり、人為的制限がなされないという意味での自由』である。

その条件にあてはまる導き手は、僕のわずかな経験に照らし合わせて選んだところ、『ヘンリー・デイヴィッド・ソロー』となった。

その著作『森の生活』に導かれながら、主義の確立への一歩を踏み出す。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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