『トロッコ列車 保津峡の旅』を終え、出発した駅に戻ってくると路上に人力車を控えた若い車夫が陽気に観光客に声を掛けていた。
「人力車乗りたい」
Aは期待を込めて僕の瞳をのぞいてそうつぶやいた。
僕は人力車に毫も魅力を感じなかったが、嫌なわけではなかったのでもちろんといわんばかりに朗らかな表情で「乗ろう」と賛成した。
Aは、女性なら誰でも舞妓や人力車にあこがれるのであろうか、人力車を見ると乗りたくなるようで、以前友人と乗ったことがあるらしく、そのときは一区間のもっとも短いコースで物足りなかったから今回は長い距離がいいと60分のコースを希望した。
人力車の相場を知らなかった僕は料金をみて、少なからず驚き、気の進まない気持が頭をもたげそうであった。
2人15,000円。
予想外の高額に一瞬表情に焦りを禁じえなかったがせっかくの旅だけちけちするな!と開き直った。
車夫はおかしなくらいに陽気で、いまだに名前を覚えている「柿山さん、カッキー」
1時間、車を引くのでその足腰はなかなかたくましく、露になっている肌は赤茶けていた。
トロッコ嵐山駅に始まり、源氏物語で知られる『野宮神社(ののみやじんじゃ)』、CMなどでよくみる『二尊院』の前でそれぞれ記念撮影とカッキーによる観光案内を楽しんだ。
時間の関係で拝観できなかったのはとても残念だったが、また京都で行ってみたいと思えるところが増えたのでよかった。
次の『祇王寺』はカッキーおすすめということもあり、拝観することができた。
入口の門構えが凋落していていかにも尼寺というたたずまいで紹介されなければ行ってみようという気を起さなかったかもしれないほどだ。

苔むす庭園、その微妙な地質を保つことに一役買っている種々の木々が葉を茂らせ豊かな緑で覆っている。
また、この『祇王寺』には悲恋の物語が伝わっている。
平家物語に登場する『祇王』は美しい踊り子でした。
あるときその評判が当時の権力者『平清盛』の耳にも届き、招かれ、それ以後寵愛を受ける身となりました。
しばらくして、平清盛の前に美しい女性が現れると祇王は追い出されることとなります。
それから屈辱的な出来事が祇王を襲いました。
なんと二人の前で舞を踊らされたのです。
祇王はその屈辱で尼になる決心をし、この『祇王寺』で余生を過ごしたということです。

また見所として『虹の窓』ともよばれる『吉野窓』という丸窓が本堂に設えられている。
光の具合によって格子と障子が絶妙な働きをなしてそれ越しにみる日光が虹色に見えるというものだ。
つくりは至って簡素で、茅葺屋根と土壁の庵内は風雨によく耐えられるなと思うほど。
嵯峨野の旅は視界のどこかに小倉山控えていて、一体が借景の妙を具現しているようだった。