社会に端を発した発展は『豊かさ』から離れる


生活の質を向上させるためにはどうしたらよいか?

今日はそんなことを考えてみる。

まず第一に生活はどんな部分に区分することができるのかを判然とさせなければならない。

なぜなら生活のある部分では多様性、自由度は高いが、また他のある部分ではどうにも変更、改良の余地なしということもあるだろうからである。

そんなどうしようもない部分にかかずらって、労力や時間を費やすのはそれこそ生活の質の低下、避けなければならない。

生活はそれぞれの社会の上に立脚するものであって、つまり生活は社会という土台を必要とするように、社会からもある一定の要求がある。

それを『義務』と読んで差し支えないように思う。

だからまず生活を社会からの『義務』の及ぶところと、及ばないところの二つに分けられるかと思う。

そしてこの『義務』が最初にあげた、個人の及ぶところでない自由度のきわめて低い部分というわけだ。

この『義務』をなんとか改良しよう、変更しようとしても即席になしうることではない。

もちろんこうした土台を改めることなくして大きな進歩や発展は望めないわけで、大きな時間と労力、知恵を注いで堅固な土台を築き、燦然たる楼閣を完成せしめることが人類という集合体の向かうべき方向だろうが、僕はあくまで一個人としての最善と幸福を求めるので現段階では『義務』は甘受するという立場をとる。

この考えは一見すると、利己的でわがままだと非難されそうだが―現にある友人は世界平和、友愛からは対極にある考えだとして、弁解を求めた―個人を幸福にし、その個人と接触ある人びとを幸福にすることが僕たち一人ひとりが実践しうる世界に対する貢献ではないかと思うからである。

今、『義務』と『義務でない』というように生活を二分したわけだが、数学的論考をすれば、「でない」を示すのではなく、その逆を示すのが定石なのでそれにしたがう。

『義務』は現代社会においてはとても解かりやすく把握できる。

『国民の三大義務』としてすでに掲げられている―『納税・勤労・ 教育』である。

なんとシンプルな社会だろう、この三つを満たせば社会に立脚し堂々と生活できるというわけだ。

また、この三要素の向上こそが社会の発展といえるのかもしれない。

優れた教育は、豊かな働きを生み、豊かな働きは税金として富み栄えた国をつくるだろう。

だがこの三つの義務、微妙にその性質に違いがあり、それも細かく見る必要がある。

教育を受ける義務は不思議な感じがするのだが、受動的行動にも関わらず義務としているので、前提としたなにものも存在していないので自ら働きかけることはないと考えていい。

次に納税、これは明らかに前提として仕事=勤労をもっている。

そしてこの仕事こそ能動的行動であり、個人自らの働きかけによるところのものであり、逆に考えれば権利という概念も生れる。

ここにこそ、僕たちの日々の戦いの舞台がある!

僕たちにとってどうすることもできない生活の部分『義務』に対して『労働』という働きかけをしなければならない。

その働きかけの変遷こそが文明であり、発展である。

ただしこの文明、発展は社会に端を発したものであるから、おのずから地球や自然、人間からは離れた、時にはそれらにとって負でしかないものになる。

そこで、『義務でない』、改良し変化させることができる部分を自然、地球、人間を豊かにするために使わなければならないし、そうしなければ生活の質は下がる一方、もっといえば、『義務』の部分よりも『義務でない』部分を進歩・発展させなければ生活の質の向上は実現できないのだ。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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