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黙々と正しい道を歩め! 『ゲーテとの対話』

『われわれ自身の環境のようなせまい視野をぬけ出さないならば、ともするとペダンティックなうぬぼれにおち入りがちとなるだろう。

だから、私は好んで他国民の書を渉猟しているし、誰にでもそうするようすすめているわけさ。

国民文学というのは、今日では、あまり大して意味がない、世界文学の時代が始まっているのだ。

だから、みんながこの時代を促進させるよう努力しなければだめさ。

しかし、このように外国文学を尊重する際にも、特殊なものに執着して、それを模範的なものと思いこんだりしてはいけないのだ。

支那の作品が模範だとか、あるいはセルビアの作品が、あるいはカルデロンが、あるいはニーベルゲンが模範だ、などと考えてはいけないのだ。

むしろ、なにか模範となるものが必要なときは、いつでも古代ギリシャ人のもとにさかのぼってみるべきなのだ。

古代ギリシャ人の作品には、つねに美しい人間が描かれている。

それ以外のものについては、みんなただ歴史的に吟味するだけで、その中のよいものは、できるかぎり吸収するようにすればいいのだ』


『一体学生のうちの誰が真理の探究を問題にしているだろう?

彼らだってどこといって変りばえもせず、物事について見たまま聞いたままにしゃべることができれば、文句なしにご満足なのだ。

そもそも人間というのは、奇妙な性質を有していて、湖に氷がはると、すぐにも何百人もが押しかけて来て、滑らかな氷の表面で打ち興ずるが、湖の深さはどれだけか、とか、氷の下をどんな種類の魚が泳ぎまわっているか、を調べようと思いつく人間は一人もいない』     


『われわれはただ、黙々と正しい道を歩みつづけ、他人は他人で勝手に歩かせておこう。

それが一番いいことさ』     『ゲーテとの対話』より


僕たちは生きていく中でさまざまなバイアスによって視野を狭められ、価値観をゆがめられている。

それが知らず知らずのうちに先入観や差別を生み、他世界や他人との大きな隔たりや障害へと発展することとなる。

狭い視野、凝り固まった思考、因習的な生活。

これらはすべて取り払われなければならないもので、視野も思考も生活も自分の手で獲得するものなのだ。

そのためにはまず、懐疑するということを覚えなくてはならない。

懐疑といえば、即座にデカルトの懐疑主義が思い浮かぶのであるが、それほど徹底したものでなくて当然よいし、シンプルに自分は本当に納得して、理解して行動しているのかということに疑問をもつということだ。

そうした思考のクセがつけば自ずと、読書の効能に気づき、今までとは違った読書体験、哲学への憧憬がうまれてくるはずだ。

純粋な心、澄み切った思想、柔軟な思考力を準備することも忘れてはならない。

すばらしき書物のエキスを吸収するにはそれなりの準備が必要なのだ。

その上で、ゲーテは世界文学の重要性を説く。

歴史も文化も伝統も言葉すら違う他国だが、その文学を通じることでその同人類としての共通点を見出し、またそれぞれが育み養った国家の趣味や、人種の色に触れることで相互理解を深める。

現代はインターネットで世界が物質的にほとんどつながるようになっている、しかし文学が成立しているのは。

日本をみてみれば、ロシア、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、日本といった具合に限定的になっている。

まずはそれらを偏ることなく、衒学的になることなく相対的、客観的立場から考察する姿勢が大切なのだろう。

つねに模範とするのは真のオリジナル、黎明期を担ったものとするがよいだろう。

文学の黎明期はギリシャ文学であるとするならば、現代日本文学の黎明期は明治期の文学となろう。

偏ったり、執着してしまわないように注意しながら、バランスよく読書していく、文学に親しんでいくことが大事であるし、また世界文学を念頭に置いた文学活動もしていかなければならない。

文学というと堅苦しいイメージであるが、そんなものではなく生活の断片であり、時代の反映である。

そのモティーフはどこにでも存在し、それを抽出する作業こそが文学である。


僕は大学に通う女子学生にまず疑問を感じている。

彼女らのほとんどがファッションや娯楽のために大学に通っているとしか見えない。

めかしこんできては、ノートをとり、学生生活を余裕を持って楽しんでいる。

それは問題でもなければ、むしろ女性本来の環境適用能力、逸楽傾向をよく表わしているといえる。

しかし、彼女らのおかげで、男子学生の修学意欲などに悪影響を及ぼしているといわざるを得ない。

全員が全員そうだというつもりはないが、なにか勘違いをして、大学を社交場か放蕩の場のように振舞っているやからが多い。

すでに厳格さは失われ、学問の敷居も低くなって、生活の片手間か娯楽にまで成り下がった大学。

誰もがこうした一面があることを否定できないのではあるまいか?

ありがたそうな話をきいて満足することほどつまらないことはない。

自らの頭で考え、ものにし、思考の糧、思想の一要素としなければならない。


周りの意見や批判、反対などに耳を貸さず、ただ黙々と信じた道を歩むのみなのだ。

だれも自分の代わりをしてくれるわけでもなければ、責任をとってくれるわけでもないのだ。

責任の伴わないあとになってごちゃごちゃ言うのが彼らのいつもの手だ。

だれもが自分との同調者を求め、異端者は好まない。

大体、誰もが勧める道に新たな発見やすばらしき経験は存在しない。

なぜならその道はすでにきれいに均された、平坦な道だからだ。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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