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据え膳のごとき人生を僕は歩みたくはない 『アンナ・カレーニナ』

『≪さて、おれはいったい、どうすればいいのだろう?どんなふうにやったらいいのだろう?≫
そう彼はつぶやき、この短い夜に考えつくしたいっさいのことを、自分自身のためにはっきりさせようと努めた。

彼が何度も考えつくし、感じつくしたいっさいのことは、三つの異なる思索の系列に分れていた。

第一は、自分の古い生活を、つまり、無益な知識や不必要な教養を否定することであった。

この否定は、彼に喜びをもたらすものであり、彼にはいとも容易で簡単なことであった。

第二の思索と空想は、彼が現に生きようと望んでいる生活そのものに関するものであった。

彼はその生活の簡素さ、清純さ、正当性をはっきりと感じたので、こうした生活の中にこそ、自分がたえず病的なほどその不足を痛感していた、あの満ちたりた気持と、安らぎと、品位とを、見いだすことができるものと確信していた。

ところが、第三の系列に属する思索は、この旧生活から新生活への転換をどうすべきか、という問題のまわりをさまよっていた。

しかも、そこではなにひとつはっきりしたものが彼の前には浮かんでこなかった。

≪妻をもつことだろうか?仕事を、仕事の必要性を感ずることだろうか?

ポクローフスコエを捨てたものだろうか?土地を買うことだろうか?

村の組合に加入したものだろうか?百姓娘と結婚したものだろうか?

いったい、俺はそれをどんなふうにすればいいんだろう?≫

彼はまた自問してみたが、答えを見いだすことはできなかった。

≪ただ一つたしかなことは、この一晩が俺の運命を決したことだ。

今までおれが描いていた家庭生活についての夢は、みんなくだらない、見当ちがいなことばかりだ≫

彼は自分にいいきかせた。

≪そんなことはみんなもっとずっと簡単で、しかも、もっとずっとすばらしいことなんだ・・・≫

(中略)

≪いや、あの単純で労働にみちた生活がどんなにいいからといっても、おれはもうそこへもどることはできない。

おれはあの人を愛しているのだから≫』     『アンナ・カレーニナ』トルストイ著より


大学を辞めることはまさに「自分の古い生活を、つまり、無益な知識や不必要な教養を否定することであった」。

大学で得られる知識は無益なものにしか思えなかった。

そして、また養えるであろう教養は皮相的なものばかりで役に立ちそうになかった。

その考えは僕を自由にし、すがすがしい気持をももたらしてくれた。

では、僕が望んだ生活はどのようなものであったか?

大学にいかないことは直接システマティックな経済活動に与しないことを意味する。

景気や経営、お金を軸とした構造外に座をしめることであるから、当然そうした富の恩恵を受ける場から遠のくことになるのだ。

僕はそれを望まなかった。

しかし、人間は食べて、居を構え、生きていかなければならない。

資産を運用しようにも、資産はない。

働かざるもの食うべからずとは当然の理である。

僕は生来貴族趣味であったから、百姓や大工、職人といった仕事をするという考えは休火山の如く、強く沸き起こるものではなかった。

芸術活動であろうか?そも、芸術活動とはなんだ?

先天的にその道も限定されていることを僕は知っている。

その限られた道の一つが文学であると僕は考えるのだが、夏目漱石は言っている、

「死ぬか生きるか、命のやりとりをするような維新の志士のごとき烈しい精神で文学をやってみたい」

文学が極めて険しく、過酷なものであることを示す一例だ。

大学へ行かないと決めたときから、運命は決した。

僕が描いていた人生、家庭生活は実のないもので、据え膳のごときものであったのだ。

漠然と、違和感を覚えていた、違う。

すべてはもっとすばらしく、シンプルであるはずなのだ。

働くこと、仕事すること、文学をすること、すべてに激しき動機と情熱が必要だ。

それはどこからやってきて、僕をとらえるのであろうか?

それは愛であるに違いない。

ここではキチイに対する愛によって、労働に満ちた生活を否定することになるのだが、僕も実際に考えてみるのだ、結婚によって働く動機となりえるだろう、しかし結婚とは本来手段であるはずでない。

それは不純であり自己欺瞞であると。

自己愛、親孝行への思い、あらゆる感情が渦巻くが、こうした結論を出していくよりない。

僕はもうそこへ戻ることができない。

なぜなら、僕自身の人生を歩んで生きたいと願っているのだから。

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No title

失礼ですが、hajimeさんは歳はおいくつぐらいなのでしょうか?

私は今年21になったばかりですが
過去の記事を読ませていただきましても
非常にしっかりとした物の考え方をなされているので
とても勉強になるなぁ、と思いながら拝見させていただいております。


>人間は食べて、居を構え、生きていかなければならない。

日本ってただ生きていくだけでお金がかかりすぎる気がしていて
どんな才能を持っていても、能力を社会に還元したいと思っても
「でもそれじゃあ食べていけないから」の一言で
終わっちゃうのは寂しすぎるよな、と。

>それは愛であるに違いない

hajimeさんの仰られる愛とは同じかどうかわかりませんが
贈与というのは道徳的な意味だけではなくこれからの時代を
生きる上で重要なキーであるのではないかと思いますね。

コメントありがとうございます。


keiさん、こんにちは。
記事を読んでいただけたということで、うれしく思います。ありがとうございます。

僕は23で、今年24になります。
年代が同じ方とこうして意見交換できることはとても有益です。

>日本ってただ生きていくだけでお金がかかりすぎる気がしていて
どんな才能を持っていても、能力を社会に還元したいと思っても
「でもそれじゃあ食べていけないから」の一言で
終わっちゃうのは寂しすぎる

たしかに、お金がかかります、しかし、全体を眺めてみるとそれなりのバランスが取れている社会だと、そう思います。
さびしいですね。
食べていくために働くのではなく、幸福のため、喜びのために働く。
それが理想だと思いますし、そのために日々努力したいですね。

>hajimeさんの仰られる愛とは同じかどうかわかりませんが
贈与というのは道徳的な意味だけではなくこれからの時代を
生きる上で重要なキーであるのではないかと思いますね。

簡単に愛という言葉を使ってしまいます・・・
贈与が時代と関連するという考えに興味をおぼえました。
現代はサービス業とよばれる仕事が主流になっていますが、金銭的な仕事の枠組みから少しずつ成長していく時代というようなことでしょうか?

No title

>金銭的な仕事の枠組みから少しずつ成長していく時代

そうですね・・成長というよりsalaryとは別の枠にある
現実的に生きのこるための技術・・
かと言ってフリーランスでもなくて・・

んーなんといったらいいやら、まだ自分の中でも
ジグソーパズルのピースがいくつも欠けているような
感覚があるので、また煮詰まったらコメントしようと思います。

申し訳ないです。

また、ぜひ意見交換をしたいです。

革新的な発想、特異な視点を期待しています。

経済や経営、ビジネスに興味をお持ちでしょうか、あるいは哲学的な人生の一要素としての仕事に関心がおありですか?

謙虚でとても好感を持ちました。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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