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『独学』と『進歩』など 『ゲーテとの対話』

『なにもかも独学で覚えたというのは、ほめるべきこととはいえず、むしろ非難すべきことなのだ。

才能のある人が生れるとすれば、それはしたい放題にさせておいてよい筈はなく、立派な大家について腕をみがいて相当なものになる必要があるからだよ』


『独自の思想をお持ちにならないので、他人の思想を借りて来られるか、独自の思想をお持ちの場合は、使いこなせないか、そのどちらかです』     


『あなた方の息子さんが、自分の描くものをくっきりとした明暗によって浮きあがらせ、見る者が思わず手でつかまえたくなるくらいのセンスをもっていないようでしたら、息子さんには才能はありません』


『あなた方の息子さんは、遠近法と解剖学を十分に修得してから、りっぱな大家に師事させなさい』


今どきの若い画家連中には情緒もなければ精神もない。

彼らの考えというのは、何も内容がないし、ぜんぜん感動を与えないよ。

剣を描いても、切れそうにもないし、矢を描いても、当たりそうもない。

精神がすっかりこの世から消えてなくなったのではないかと、ときどき情けなくなるよ』


『すべてが現状のままであるかぎり、ほとんど何も期待できないということだ。

時代のよいものをすべてすばやく自分のものにして、それによってすべてのものをも凌駕するような偉大な才能が現れなければならないのだ。

その手段はすべて目の前にあるし、道は示され、軌道まで敷かれている。

その上今や、われわれはフィディアスの作品までこの目で見ることができるのだ。

これは、われわれの若い頃には想像もできなかったことだよ。

今日欠けているのは、偉大な才能だけだ』     『ゲーテとの対話』より


「独学」という言葉はとても曖昧で厄介な言葉であることに気がついた。

なんでもそうなのかもしれないが、概念というものには線引き、境界線を定義することによって限定されるもののことである。

「独学」とはある学問や、技術を修得するためにその道の先達者から教えなどを乞わず自力ですることであるのだが、学問や技術がどこから始まるかということが明確でない上、人間である以上なにかを教わらずできるようになることはないはずである。

たしかに、模倣を得意とする生き物であるゆえ、まったくないとは言い切れないのかもしれないが・・・

この文言から読み取れるのは、ゲーテが独学を全否定しているのではないということだ。

これは、こんな忠告の言葉ではないだろうか?

「すでに先人たちはさまざまな発明と発展を実現してきたが、その過程をもう一度自らの力によって経験することに意味はない。

そこにあるのは自己満足と自己顕示でしかありえない。

学問や技術の目的はその修得ではなく、それにより実現されるものであるからそのためには効率よくやることも考えなければならない。

であるから、教えを乞うことでそのノウハウを獲得でき、向上の助けともなる」ということであろう。

時には独学の姿勢はよい影響を生むのも確かだと思う。

発明や進歩は試行錯誤なくして得られるものではないだろう。

独学とは試行錯誤の連続であるし、また先達者から技術やノウハウを盗むという能力も培わなければならないだろうから、師事する、しないに関わらず、これらの姿勢は必要となってくる。

理屈で言えば、独学よりも教わる方がメリットが多そうだ。

だが、一方でオリジナリティ、先入観を抱くことなく、純粋な観点でその道に邁進できるのは「独学」であるといえるかもしれない。


これはモーツァルトの手紙に書かれたものであるが、

芸術に思想がないのであれば、それは栄養のない食物に似て、僕たち人間にエネルギーや活力を与えるものとならない。

高邁な思想を育てること、それが芸術家のみならず僕たちがやらなければならない人生における仕事である。

そして芸術家であるならばそれを表現できなければ芸術家たりえない。

芸術家にただ憧れを持つものこそ災いなれ。

このブログにしても、ただの思想の受け売りであるならば潰してしまわなければならない。

あくまで書物の力を借りて、自らの思想を掘り起こし、表現してみるというスタイルでなければならない。

まだ、稚拙で力もないから自力で思想を掘り起こし、構築するのは難しい。


こちらはレオナルド・ダヴィンチの言葉であるが、

さすがは万能の天才、ルネッサンス期の巨匠、言うことが違う、とてつもなく厳しい。

もはやこれは才能があるというより、天才があるといわなければならない。

もちろんこれは現在の才能という概念による語弊であって、レオナルドはその意味で才能を使っている。

元来、才能とはそれほどまでに価値があり、また特別なものであったのだ。

だから、不幸な人、中途半端な役立たずが現れにくかったのかもしれない。

そして大天才が生まれたのだろう。

そして、何事にも基礎があり、基礎を確実に修めることの重要性をレオナルドも説いている。

現代のようななんでもありの時代で基礎や基本が軽率に扱われている。

なんでも先に進んでやりたがり、難しいこと―できなくて当たり前という見栄も手伝って―に興味を持ち、それをできるかどうかに競争が生まれている。

しかし、小さな、つまらない、単純な、基本的なものをそつなくこなすことが最も難しく、評価すべきことがらである。


経験が少ない若者はどうしても、理論で頭でっかちになりがちだ。

それは学問的な知識にしろ、芸術などの技術にしろいえる。

それは仕方のないことなのだが、その理論をじっくりと考察し、実践するということをしていかなければならないし、それが健全な精神と、実のある精神をつくる。

若い時代というのは、この精神や思考力を養う時期であるから、この仕事を怠ってはならない。

たしかに、現在の若い世代は脆弱だと思う。


時間はない。

現代のよきもの、残されているものを汲み尽くし、オリジナリティを加え、偉大なものをつくりあげていく。

現代は本当にすばらしき時代だ。

青空文庫によってすばらしき文学は手に入れることができ、youtubeでは優れた楽曲に触れることができる。

わからない知識は百科事典がなくとも大方の調べをつくすことができる。

逆に言えば、厳しい時代とも言える。

なぜならば、知識や情報はだれにでも手に入れることができるからだ。

すなわち、それをどのように、どんな取捨選択によって手に入れ、また作品として昇華させるのか。

そこにすべてがかかってくるからである。

僕は次々に先代の遺産を凌駕する作品や事業が完成されることを期待する。

もちろん、自らに対しても。

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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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