良心と行動の一致 『ゲーテとの対話』

『われわれの行動には、すべて結果がともなうが、利口な正しい行動が、かならずしも好ましい結果をもたらすとはかぎらないし、その逆の行動がかならずしも悪い結果を生むわけでもないので、むしろ、しばしばまるっきり正反対の結果になることさえある』


『世の中には、現実の真相に対して想像力を持った人がほとんどいないね。

むしろ人びとは、まったく知りもしないのに、奇怪な想像を抱かせるような珍しい国々や状況に楽しみを求めようとする』


『後退と解体の過程にある時代というものはすべていつも主観的なものだ。

が、逆に、前進しつつある時代はつねに客観的な方向を目指している。

現代はどう見ても後退の時代だ。

というのも、現代は主観的だからさ。

このことは、文学だけでなく、絵画やほかの分野においても見られるのだ。

それに対して、有意義な努力というものは、すべて偉大な時期ならどの時期にも見られるように、内面から出発して世界へ向かう。

そういう時代は、現実に努力と前進をつづけて、すべて客観的な性格をそなえていたのだよ』     『ゲーテとの対話』より


言い換えれば、現実というのは過去の己の行動の結果である。

しかし、その行動が正しき行動であったのか、悪しき行動であったのかは現時点ではすでに判別できなくなってしまっている。

というのは、いずれの行動からも同様の結果を得ることがあるといえなくはないからだ。

では、ゲーテは何をいわんとしているのだろうか?

正しき行動をするにせよ、悪しき行動をするにせよ、その結果は神の思し召し、運命、そういった推し量ることのできない力によって与えられるのであって、僕たち小さき人間は正しき行動を心がけ、悪しき行動を避け、もしそうした行動をしてしまっても、償い、悔い改めることをするしかないのであるということではないだろうか。

僕たちは結果に関心を示し、その良し悪しをそのまま原因となったであろう行動に直接結びつけて考えがちであるが、そこには神秘なる力が加わっていることを忘れてはいけない。


たとえば、僕は今、『アンナ・カレーニナ』トルストイ著を読んでいるが、家族はおろか、結婚生活すら経験していないので、それにともなう苦悩や葛藤、複雑な人間関係などは実感をもって理解することはできない。

しかし、優れた描写の助けを借りながら、想像力を駆使して、それを疑似体験、あるいはシュミレーションを楽しむということはできるのではないか、現に僕はそうした楽しみを味わっている。

たしかに、一般的には奇怪なミステリーや航海、冒険の物語が好まれている。

あえて、その名をあげることはしないが、スリルやエンターテイメント性がたとえ高いといえども、直接的なイメージを想起させるような媒体ではなく、想像力でもって脳内イメージを構築できるような媒体によって思想や思考、世界の理解に努めたほうが有益にちがいない。


主観的と一言にいってもさまざまな面をもっているのだが、特にこうした負の要素というのは、利己心による行動と結びつきやすいことであり、それは後退と解体を引き起こすというのは納得がいくだろう。

僕たち一個人にしろ、社会全体にしろ利己主義に陥ったら最後、その形態は破綻を待つよりほかない。

この世界はすべて陰と陽によってできている。

利するところあれば、損するところありなのだ。

利己主義によって全体を利することは不可能であり、利するところが偏れば当然のことながらそこは減退か解体を余儀なくされる。

一方、客観的であれば、対比して言えば、全体主義であるならば、公平さ、平等に全体を利するにはどうすればいいかという行動規範によって、一個人や社会が働きかけるわけである。

全体を利すること、構造の底上げとはまさに、進歩、発展であり、そのための努力は内面から自己を通しての働きかけに努めることで、それは良心と行動の一致の状態である。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる