仕上げることではなく、制作することに幸福を見出せ

『趣味というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみつくられる。

趣味をちゃんと確立すれば、ほかのものを判定する尺度を持ったことになり、ほかのものを過大でなく、正当に評価するようになるだろう。

偉大な才能がその種類の頂点を示していさえすれば、どんな種類だって楽しいのだ』


『生粋の詩人にとっては、世界についての知識は、生まれながらに備わっており、世界を表現するのに、もろもろの経験や大きな経験上の知識など全く必要としないものだ』


『優秀な人物のなかには、何事も即席ではできず、何事もおざなりに済ますことができず、いつも一つ一つの対象をじっくりと深く追求せずにはいられない性質の持主がいるものだ。

このような才能というものは、しばしばわれわれにじれったい気を起させる。

すぐさまほしいとねがうものを、彼らはめったにみたしてはくれないからだね。

けれども、こういう方法でこそ、最高のものがやりとげられるのだよ』


『マンネリズムは、いつでも仕上げることばかり考えて、仕事そのものに喜びが少しもないものだ。

しかし、純粋の、真に偉大な才能ならば、制作することに至上の幸福を見いだすはずだ』


『比較的才能にとぼしい連中というのは、芸術そのものに満足しないものだ。

彼らは、製作中も、作品の完成によって手に入れたいと望む利益のことばかり、いつも目の前に思い浮べている。

だが、そんな世俗的な目的や志向をもつようでは、偉大な作品など生まれるはずがないさ』     『ゲーテとの対話』より


食べ物にしてもなんにしても「本物を知らなければならない」とはよく言われることだ。

本場のパスタを食べることでその判断基準が定まり、正しく評価できるのだ。

おいしいといわれる食べ物を食べることで脳が味を覚え、味覚は研ぎ澄まされる。

世の中にはたくさんの芸術で言えば傑作、観光地で言えば名所、食べ物で言えば珍味といったように、人類の共通な普遍的価値というものが存在するので、それは価値基準を鍛えようとするのにはもってこいで、あながちこういうくくりも悪くないと感じるわけだ。

僕は読書するならば傑作と呼ばれている古典の他は読まないことに決めている。

時や時代、歴史の淘汰を免れてきた作品はただものではないのだ。

そして、この世界に存在する人間の活動としてのあらゆることはすべて魅力と、人を楽しくさせる何かを含んでいる。

それが楽しいかどうかは、受け手と行い手にかかっているのだ。

僕は相撲が好きだけれども、一般的には相撲は年寄りが好むものだからと少し変な目でみられたりするが、若い人がおもしろさを理解するだけの知識や観察力を持っていないだけなのだ。

相撲がおもしろくないのではなく、おもしろさがわかっていないだけだ!


僕はかつて野球を真剣に取り組み、日々練習に励んでいたが、あるときこんな言葉をきいた。

『一に才能、二によき指導者、三、四がなくて、五に努力』と。

当時の僕はこの格言に反発したものだ。

努力こそ、上達する上で最も重要なことである!と。

しかし、今になってあながち間違いではないなあ。と思う。

ゲーテも言っているように、天賦の才というものは実際に存在すると感じるのだ。

生まれながらにして、勉強ができたり、スポーツができたり―足の速さなどはまさにこの生まれながらにしての要素が大きいと思う―、話が書けたり。

しかしながら、努力は必要ないということでは、当然ない。

努力することは精神力、忍耐力をつけることに有効で人間力を高めてくれる。

決して、目的を達成することだけが、人生の目的ではなく、短い人生のなかでいかに人間として成長できるかどうかというのも生きる意味であろう。


こういうと現在の社会とまったく相反するようにさえ思われる。

今は何でも即席の時代で、食べ物さえ即席が好まれ、何でもかでも即席、時間の短縮、効率化である。

一つ一つを追求し、つくりあげたものは最高のものであるにもせよ、この資本主義社会には対応できない。

このことから、こんな結論が導き出せるのではなかろうか?

資本主義と芸術は両立しない。

しかしながら、芸術上の最高のもの、芸術に限らず一つ一つの対象を追究し、じっくりと生み出されたものは経済を度外視した価値をもつ例がしばしば見られるのも事実だ。

それならば、やはり、即席で期待に応えるのではなく、その仕事の質で応えるような人間でありたい。


マンネリはよく恋愛において語られる概念である。

長く付き合った恋人同士が愛が冷めたり、その関係に飽き飽きしてしまう、楽しみを見出せなくなってしまうことをいったりする。

それは恋や愛を目的として捉えているから起こるのだろう。

どこへデートへ行くのか、部屋でごろごろしてばかり・・・

しかし、どこへ行くのか、何をするのかは重要なことではなかったはずだ。

一緒にいるのが楽しいからデートするのだ、何をせずとも、一緒に話したりするのが楽しいから恋人同士なのだ。

そんな単純なことを見落として、マンネリだ、3ヶ月経ったから云々するのは思い違いだろう。

加えて、このブログをかくという作業にしても、こんなことを毎日やって意味があるのだろうか?

飽きてきた、もうやめようか・・・と考えるのはまったく見当違い!

書くのが楽しいからブログを書くのであって、反応や評価、意味のためにやっているのではない、そんなものに価値はない!

そして、ブログを書くことに至上の幸福を見出せるとしたら、僕は純粋な真の才能を持ちえているということになるのではないだろうか?

倦まず弛まず、書き続けようと思う。純粋な真の才能を示さんが為にも。

完成を欲してはいけない、常に充実を、評価ではなく満足を。

自らの仕事に満足し、そこに幸福を見出す。

仕事をすぐに利益やお金と結び付けてはいけない。

意味のないことにこそ意味があったりすることってないとも限らない。

僕はそれを信じたい。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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