『外套』ゴーゴリ著 捉えどころのない文学作品の傑作

ゴーゴリが書いた短編小説『外套』は小説のための小説、文学の源流をなす作品だろうと思う。

現代では、小説は表現や構成など多様化がすすみ、ジャンルも幅広くなっている。

僕は文学といえる小説が好きであるが、文学とはなにか?という問いに対して『外套』のような作品のことと答えられると思う。

もちろん、僕自身はその明確な価値基準を持ちえていると自任している。

文学とは作者の生きる社会を反映させ、人文的趣向、啓蒙的要素を兼ね備えている作品とおおよそ考えている。

この『外套』、なんといっても文学作品といえる中では読みやすい部類に入るので、入門書としていいんじゃないかと思う。

これからドストエフスキーやトルストイなどに行けば理解も深まり、文学のおもしろさに引き込まれること請合いだ。

登場人物に複雑きわまる輩は存在せず、文学にありがちな小難しい頭でっかちもいない。

ほとんどが愛すべき人物たちで、しかも主人公のまわり以外では何の動きも示さないので、注意深く読む必要はない。

しかし、読み落としたくないのはたくみにゴーゴリが風刺めいた書き方で役所の人物などを描いている点である。

ただ、僕たちはアカーキイ・アカーキエヴィッチのように生きるとよいのだろうか?

彼は象徴であって、それをリアルに捉えるのはやや強引だろう。

ただひたむきに仕事に取り組み、己の分をわきまえ、出すぎたことはしない。

他人から辱められようとも意に介しない。

彼はぼろぼろの外套を半纏と呼ばれるくらいになるまで着続け、そんなことには頓着しない。

むしろ、新調しなければならないことに辟易している。

それでも、いざ新調せざるを得ないことを悟るとしっかりと倹約することができる。

そしてその外套のために、仕立て屋と話し合いを重ね、その完成を楽しみにし、それを肩にかけてもらったときには絶頂に達する。

あくせく生活し、目移りする人々にとって瑣末な事柄でも素朴な人間にとっては、大きな喜びを与えるものとなるのである。

そういうわけだから素朴な人間たるのは幸せの条件だ!と結論するのは読み間違いだろう。

あくまで、この作品はその些事に過ぎない外套を剥奪され、それを取り返そうと奮闘した末に逝ってしまう姿を描いている。

始めに書いたように、これは小説のための小説であるから、率直に人生の幅広さ、幸せの尺度、最終的には悲劇ではなく喜劇性を含んでいることが描かれていて、それを楽しめばよいのではなかろうか。

こうして、『外套』について書いてみたが、とらえどころのない作品、通俗的な小説であって色濃い文学作品の性質をもっているから考えも理解も深まらなかった。

まあよい。

読者一人ひとりにさまざまな面を見せてくれる、すばらしき作品なので一読をすすめたい。

<追記>
ロシア文学を代表する『外套』であるが、大部分の外国文学は作者の宗教観やその時代の政治的宗教とかかわりを持っていることが多いのだが、この作品ではまったく宗教観が混じっていなかったので、日本人にはなじみやすく、また問題を複雑にしてしまうことがない。

大きな意味での人間愛的な宗教観は読み取れるが、限定的な宗教観はないという意味で。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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