『いつでも個人のもっとも有意義な時期というものは発展期なのだ』
『私は、いつも、みんなからことのほか幸運に恵まれた人間だと賞めそやされてきた。
私だって愚痴などこぼしたくないし、自分の人生行路にけちをつけるつもりはさらさらない。
しかし、実際はそれは苦労と仕事以外のなにものでもなかったのだよ。
七十五年の生涯で、一月でも本当に愉快な気持ちで過ごした時などなかったと、いっていい。
たえず意志を、繰り返し押し上げようとしながら、永遠に石を転がしていたようなものだった』
『結局実際に応用したものしか、頭にのこらない』 『ゲーテとの対話』エッカーマン著より
人間の主たる発展期はすなわち、青春期に他ならない。
もちろん、人によってその時期に前後の差はあるだろうし、また心身ともに発達著しい青春期のみならず知的発展、精神的発展はつねに人生の方々で成し遂げられる。
ゲーテいわく、その時期はもっとも有意義であるという。
考えずとも、それには異論をさしはさむ余地はないことがわかろうし、もっとも有意義であるゆえにそれを損なわないように努めればより、輝くばかりの充実期を迎えることができるだろう。
発展することが僕たちの宿命であり、目標である。大きく言えば生きる意味である。
この言葉はどれほど含蓄を含み、また重たく響くことであろうか。
ゲーテといえば、世界の文豪でその名を知らぬものは世界のすばらしいものの一角をまったく塞がれてしまっているといっていいほどだ。
無責任な凡人たちは歴史に名を残すほどの人々を前に羨望や賞賛を送る。
「それほどの成功を現世において収められるとは、なんと幸運な人だ!
神に恵まれ、天賦の才を与えられたのだから」と。
そのように祭り上げられることにどれほどの苦痛、苦悩、伴うことか。
とはいえ、
『たえず石を、繰り返し押し上げようとしながら、永遠に石を転がしていたようなものだった』
と述懐しているように、偉人が偉人たるゆえんはここにあるように思う。
ベートーヴェンも同じようなことを遺書の中で書いていた。
諦めず、弛まず、ただひたすらに努力と、向上心をもって対象物に働きかける、情熱を注ぐ。
それは成功の必須条件であろう。
知識、技術を応用するとは一体どういうことであろうか?
文字通り、状況や条件に応じてその知識や技術を用いることである。
すなわち、それらに個性を伴わせて独自に働きかけることである。
それには、深い理解と、対象物とそれらとの関連性、利点と欠点、作用と反作用、あらゆる側面からの誤りなき認識を要するのだ。
頭脳は暗記するとき、インプットするときに働くのではなく、アウトプット、外界に働きかけるときに大いに働くという。
科学的根拠をもった、まったき真理をついた言葉である。