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心の弛みは青春の終焉である

『この世よりのがれむと思ふ企てに遊蕩の名を与へられしかな』

『わが抱く思想はすべて金なきに因する如し秋の風吹く』

『時代閉塞の現状を奈何にせむ秋に入りてことに斯く思ふかな』

『心よく人を讃めて見たくなりにけり利己の心に倦める淋しさ』

『それもよしこれもよしとてある人のその気軽さを欲しくなりたり』

『秋風が電車の中に吹き入れし柳の一葉悲しと思ふ』

『長き間われに敵なし敵恋し心やうやく弛みたるかな』     『石川啄木歌集』より


人がこの世を厭ったり、憂いたりするのは自然やこの世界に対してではない。

ただ、人世というものに嫌気がさして逃れたくなったりするのである。

人世を逃れたいからこそ、自然へ出向き、自然を愛し、それを詩によみ、それを解する人、その人が描いた作品などを愛するようになるのだ。

ほとんどの人はこの一連の思想、嗜好の変化を遊蕩や放蕩と呼んだりする。

僕は自由にこの自然、与えられている恵みを僕が所有する権利を持つすべてで享受することを心底欲する!


青春文学たるゆえんはここにあろう。

太宰治、石川啄木、彼らには弱さがある。青年特有の脆さ。狭量な考え。

金無きのみに因する思想とはうれしくもない思想だが、しかしそれほどまでに経済に基づく社会における金は強大な力を持ち精神を蝕んできたのだ。


時代閉塞はいつ終わりを迎えるのであろうか?

つねに社会に閉塞感が漂い、それを打破せむとて若者が意気込むのだ、いつの時代にも。

しかし現代は意気込む若者はいるのであろうか?

草食男子という言葉が聞かれて、すこし時間も経った。そういった意気込む若者は減っているようだ。

もしかしたら、それはこのときと同様に啄木のような青年ばかりであるかもしれない。


己のみに執着すること、利己を優先すること、これらを心からよしと思う不逞の輩はいないだろうが、しかしほとんどの人間はそうとわかっていながら、執着と利己心を捨てられない。

人を心から褒め、賞賛できること、これは僕たちの振る舞いの中で美しいもののひとつである。

どれほど華やかな気持ちであろう、味わってみたいものだ。

そのためにはまだまだ修練が足りない、利己心が捨て切れていないのだ。


これは決して皮肉ではない。批判交じりの寛大さへの憧れである。

あらゆることは気軽さでもってうまく解決し、対処でき、進めていくことができる。

寛大さをもち、執着を脱したとき、気軽さを習得できるのであろう。

ものは考えようでなんとでもなるのだが、これこそ気軽さのなせるわざである。


これこそ詩の極みである。

日常の一瞬を的確にとらえ、永遠性を持たせる。

想像でも現実でもない超現実のようなものに捉えられている。

真の要素以外が完全にろ過されたすばらしい一句だ。

静止画の中に時の経過を織り込み、心情を映しているのだ。


心が圧迫されている状態、それはすなわち自分で手一杯の精神状態である。

それではやさしさも思いやりもままならない。

石川啄木は常に自らの心を見つめ、生活をながめた。

自らの心の叫びを詩にぶつけた。

それは若きカリスマであって、代弁者、永遠の青年像である。

その存在は常に若くある義務、運命を背負わされているのだ。

太宰治、尾崎豊、幾世代の若者たちを救い、励ますためにこうした十字架を背負ってくれる英雄が存在し、啄木もその一人である。

心の弛みは青春の終焉である。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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