一人旅 長崎から発信される痛切なもの

この日もユースホステルに宿泊し、3人の相部屋だった。

普通の家をホテルに利用しているみたいで、子ども部屋にベッドが並べられていた。

長旅の疲労が肉体の奥底に結晶し始めているようであった。

良き旅は早起きから始まる。

朝、すっきりと起きられなければそれは疲労がたまっていたり、精神的な意欲の欠如を意味するからだ。

この日も早めに起床し、町並みに沿って走る路面電車に乗って『平和公園』へ向かった。

この旅の最も重要な目的は戦争の遺産(これはすべて負の遺産といえる)をこの目で確かめることであるから、広島と長崎にある平和公園は絶対に欠かすまいと心に決め、こうしてそれを実行に移すことができたことは幸いであった。

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天を指し示している右手は直接的に原爆の脅威をあらわし、象徴的に天や神、世界の一体を表現しているというようにも感ぜられる。

水平に延ばされた左手は平和、争いや諍いのない水平な世界を意味している。

静かにたたまれた右足は「静」被爆後の静寂、戦争に関する沈黙、許しという意味までも併せもっているように思う。

力強く踏みしめられた左足は「動」すなわち、被爆後の人々の煩悶、復興のための尽力、耐え忍ぶ力、希望の象徴を意味しているようだ。

目が閉じられ、穏やかな表情は被爆者への冥福の祈りと平和への願い、そういったことを彷彿とさせる。


広島の平和公園とは趣を異にしていた。

広島は痛ましく、空気が重く、心がすさんでしまいそうに戦争経験のない僕でさえその悲惨さが伝わってくるほどであった。

しかし、長崎の平和公園は静かで、厳かとも無念とも希望とも違う、一種独特の偽られ、つくられた、違和感を伴う平和という印象を受けた。

戦争が消され、ごまかされ、平和の象徴だけがむなしく残っている、そんな感じである。


そのことは近在する『浦上天主堂』の現在の姿、そしてその再建にまつわるエピソードからも裏付けられる。

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また、『被爆マリア』と呼ばれる木彫りのマリア像の被爆し黒く焦げも残っている頭部が保存され、その当時の凄惨さと宗教、信仰に対する背信、洗脳や忘我に陥る人間の卑小さが形となっている。

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信仰の有無に関わらずこの姿を見て、心痛まない人がいるであろうか?

いつの時代でも人間をかたどった像や人形は僕たちにとって一種かけがえのない存在となる。

だからむげに扱うことは気がひけるし、大切に扱わなくてはという気持ちが起こる。

この『被爆マリア」さまのまなざしに生気は感じられず、ただ憂いと悲しみ、無という永遠性、取り返しの付かない無念さ、そんなものを感じずにはいられない。

日本の西端にある地であるが、そこから発信されるもの、そこにある遺産は僕たちへ痛切なメッセージとなっている。

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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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