石川啄木 詩と心境

『恋すると死ぬとは同じ生くるてふことに疲れてもとめしなれば』

『父母のいふことを皆よしとせし昔を思ふ悲しき日かな』

『もの言はぬつれなし人は火の消えしすとうぶに似て凭れど冷たき』

『故郷の空遠みかも高き屋に一人のぼりて愁ひて下る』

『いつしかに情をいつはること知りぬ髯を立てしも其頃なりき』

『友は皆アカデミ出でて八方に散れり誰先づ名をば挙ぐらむ』

『いろいろの形はあれどむつかしき我の心に似る雲はなし』     石川啄木『敷島』などより

生きることが、一人で生きていくことが辛いから、人は恋をするのです。

そして愛を失えば、人は死にたくなるのです。

人間の最も悲惨な状態というのは「疲れている」ことかもしれない。


子どものころは思想、思考、行動、すべての根拠が父母であった。

父母の言うことを正しきことと信じ、疑うことをしなかった。

大人になって、父母が特別な人間ではなく、人類を構成する単なる一分子に過ぎないことを知った。

僕にとってこれは悲しいことであった。

まるで僕という弱々しい木が根こそぎにされたようだった。


寂しいから、人とつながっていたいから、仲良く楽しく過ごしたいから僕は極力コミュニケーションをとろうと思う。

だけど、世の中には本当につれない人というのがいるものだ。

相槌すらろくに打てず、口を開いたと思えば、淡白な返事のみ。

僕はそれほどまでにとるにたらない存在だろうか?それとも自分の生活に入り込まない種類の人間は軽くあしらえばいいという了見なのだろうか。


異郷の地にてふと孤独を感じるとき、慰めてくれるのは同朋との交わりか、自然、それも故郷をしのばせる自然であろう。

しかしその慰めはいっそう僕を物寂しい気持ちにさせ、郷愁は深まるばかりだ。

いっそのことぼーっと窓辺にたたずむか、考え事をしていたほうがましだと思うほどだ。


いつのころからだっただろうか、僕が考えや生活を偽るようになったのは。

ときどき自問する、「なぜそれほどまでに本心を隠したがるのか?」

人の批判を恐れているのか?いや、違う。

人からの詮索を恐れているのだ、心の深奥を覗かれることを恐れているのだ。

それを隠すために上品に振舞った、不自然なほど毅然とした態度をとるようになった。


僕は今までに大人としての希望を抱いたことがあっただろうか?

自分の人生に期待をしたことがあっただろうか?

今でもそのころの友に会うことを避けてはいまいか?

名を挙げようとは思わないが、けれどもそれは現実を直視していないからなのだ。


心はなににたとえられるだろう。

心はかたちを持たないか?心は本当に存在するのか?

心は雲の如く霧散するのか?

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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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