一人旅 漱石ゆかりの地 松山

松山市は独特な景観を持っている。

市内を路面電車が走っていて、大通りでは頭上を電線が交差している。

その電線を気にしていると、近くの見あげるほど大きくない山が視界に入る。

見てみると、山上にお城が建っている。松山城だ。

松山市を見下ろし、統治しているようにみえる。岐阜城などのように天守閣だけでなく、櫓のようなものも確認でき、山上ではあるがそれなりの敷地を持った城なのだろうと興味を引かれる。

僕は松山城まで登ることはしなかったが、山腹にある夏目漱石ゆかりの『愚陀佛庵』を訪れた。

gudabutsuan.jpg

数年前に土砂崩れによって倒壊してしまったため、現在ではこの姿をみることはできない。

その前に見ることができて本当によかった。

漱石と子規が共に生活をした『愚陀物庵』

2階に漱石が住み、1階に子規が寝起きしていた。

子規は結核に罹っていて、うつるかもしれないのにもかかわらず自宅へ招いた漱石。

その上、栄養を付けさせるために、うなぎなどを食わせてあげたという。

2人の友情がいかほどだったのかがわかるエピソードだ。

漱石は義理を重んじ、人情に厚い。

そういう温かみが作品の中に流れている。

ほかにも漱石ゆかりの場所が市内にたくさんあった。

あと愛媛県内で印象に残っているのは、『伊予』という地名だ。

JR伊予線だったと思うが、あの伊予柑はこの地名から来ているのだとわかった。

段々になって、濃緑の蜜柑の木が日差しを浴びていた。

ところによっては蜜柑の木以外何も見えないほど、さすが蜜柑の生産日本一だ。

愛媛から大分へフェリーで渡ったのだが、最寄り駅から、港までがとても遠かった。

しかも往復したのだ。

というのも、愛媛から大分へ2便フェリーが出ていて、時間に合うものがあってのでそれに乗ろうと、バスを待っていたら、まだ来そうになかったから、港まで歩こうと思って歩き出した。

ところが、そのむかっていた港は時間に合うのとは別の遠いが歩いていける距離にある港だったのだ。

目前までいって、様子が違うことに気がつき、もう一度引き返したが、バスの時刻表を見ると、もう間に合わない。

結局もう一度歩いてもう一方の港へ行き、フェリーに乗った。

もう日は沈もうとしていた。

『印象 日の出』をのように美しき夕陽であった。

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Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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