チェーホフ著『かもめ』 芸術家のためのヒント 特定の視線を排除

この『かもめ』を再度読むきっかけを与えてくれたのは、Aだった。

「チェーホフって呼んだことある?」突然電話でこんなことを聞かれた。

僕はすぐに「どうして?うーん、チェーホフは呼んだことないかな。読もうとしたことのある作家だけど・・・(自分の本棚を見ると、下の段に『かもめ』が『エチカ』の隣に見えた)」

「そっか、今日本屋さんで集英社文庫フェアのところに黒柳徹子さんがチェーホフの『かもめ』を紹介してたから、知ってるかな、読んだことあるかなと思って」

「うん、『かもめ』なら読んだことあった」

「やっぱり読んだことあるんだ、ちょっと読みたくなったの。どんなお話?」

「うーん、あんまりよく覚えてないなあ。でもそのときはまだ複雑に思えて、全体像は把握できなかったよ」

こんな会話をしてもう一度読んで、Aにどんな話か教えてあげようと思ったのだ。

2度目だとやはり記憶としては残っていなくとも、脳には印象が残っているのか、以前読んだときにはぼんやりとしていたのに、情景がはっきりと描くことができた。

でもやっぱり説明しようとすると、「何も起こらなかった、ただ言葉しか描かれていないのに、僕の脳内には情景が浮かび、人物が顔を持ち、心を持っている。

恋が全体をつつみ、中心人物の一人が一方で仕事と社会、家族との関係に苦悩している姿が描かれる。

幸せそうな人物は存在していない。ただ表面的な深い苦悩もまた描かれていはいない。

親子の宿命、時代の流れ、恋と幸せ・・・

僕たちの心も複雑であれば、そこに生きる人々がつくりだす生活も複雑である。

この時代のある意味での社会の断片を切り取り、そこで生じる問題、人間模様をリアルに描き出している作品。

やはり名作であるし、それを強調するのは、自身作家であった経験から語られる、トレープレフとトリゴーリンの少し異なった視線による、作家という職業上の苦悩や葛藤、思考であろう。

これは本当にリアルで、芸術家を志す人には大いに参考になるところのものだと思う。


『舞台は人生の真髄を映し出すものであって、余計なものを舞台に引きずりだしてくる必要はありません』

『才能もないくせに、うぬぼればかり強い人間は、本物の才能を見るとけなすことしかできない 』

『問題は古いとか新しいとか形式にあるんじゃない。形式のことなど斟酌せずに書くこと、魂から奔放に流れ出てくるものを書くことが大切なんだ』

『舞台に立とうが物を書こうが同じこと、私たちの仕事で大事なのは、名声だとか栄光だとか、私が夢見ていたものではなく、耐えることができるかどうかなの。十字架を背負って歩みながら、自分のやっていることを信じきれるかどうかなの。

私は信じてるわ、だからもうそんなに苦しくないし、果たすべき自分の使命を考えると、生きていくことだって怖くはないわ』

こんな名言がところどころにちりばめられ、アクセントになり、物語が輝きを放って読者をひきつける。

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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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