神の議論は時として屁理屈の応酬

『エピクロスはいっています。神は悪を阻止しようと欲していてもそうすることができないのか、悪を阻止することができるのにそうしようと欲しないのか、悪を阻止することもできずそうしようとも欲しないのか、或いは悪を阻止しようと欲しており且つそうすることができるのか、そのいずれかであるといっています。

神が悪を阻止しようと欲していてそうすることができないのなら、神は無力です。

悪を阻止することができるのにそうしようと欲しないのなら、神は邪悪です。

悪を阻止することもできずそうしようとも欲しないのなら、神は無力にして邪悪です。

悪を阻止しようと欲しており且つそうすることができるのなら、神父様、神はどうしてそうしないのですか?』     アナトール・フランス著『神々は渇く』より

神を論じるとき、この種の命題は逃れることができないだろう。

ドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』では「神は悪を阻止しようと欲しており且つそうすることができるが、そうしない。

なぜなら、神はそういった奇跡によって信仰を得ることは精神の自由が失われてしまうことになるから」と説明する。

確かに僕たち人間はそういった超人的な能力にとても弱い。

超能力のようなものを見せられたら、この人は自分たちとは違った特別な力を持っているに違いないとすぐに信じてしまう。

それが奇跡のような事柄ならばなおさらそう思ってしまう。

キリストはそれを知っていたから、神を試してはならないと言ったのだ。

だが『神々は渇く』ではそのような解釈をつけず、次元が違うというニュアンスで説明している。

大体、僕たちが悪だ、善だと判断のできようはずもなければ、神の意志を感じることも、説明されたとしても理解の範疇を超えているから、このような疑問を起す心こそ誤りがあるという。

神の議論は時として屁理屈の応酬に陥りがちだ。

神がいるかいないか、神を信じるか信じないか。

それは確かに大事なことだ、しかしそれを論じることはナンセンスだと思う。

目的は一人一人のよき生活であり、自然の存続であると信じる。

そのために宗教が大きな役割を担うことはだれも異議をさしはさまない真理だろう。

神、云々の前にこういった平和や幸福に向かう心を育てることが必要だと思う。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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