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利己主義と利他主義 心の持ちよう

『今、わたしがしていることは、そしてあなたがその価値を過大評価していらっしゃることは、あなたへの愛のためにしているのではないのです。

と申すのも、神父様、あなたは愛すべきお方であるとはいえ、結局のところ、わたしはあなたを愛するにはあなたを知らなすぎるからです。

わたしはまた人類への愛のためにしているのでもありません。ドン・フワンほど単純ではありませんので、ドン・フワンのように、人類はいろいろなことをしてもらう権利を持っているとは思わないからです。

ドン・フワンほどの自由な精神の持主が、あんな偏見を抱いていることはわたしを悲しませます。

わたしは利己主義からしているのです、人間にあらゆる健気な行為や献身的な行為をさせるあの利己主義、われわれをしてすべての惨めな人びとの裡にわれわれ自身の姿を認めさせる利己主義、他人の不運を哀れむことによって自分自身の不運を哀れむ気にわれわれをならせる利己主義、生まれつきと運命との点で自分に似た人間を助けよと我々をそそのかし、ついにはその人間を助けることが自分自身を助けることであるとわれわれを思い込ませるに至る利己主義、―あの利己主義から、わたしはしているのです。

わたしはまた徒然のあまり、しているのです。

と申すのも、人生はいかにも味気ないものなので何はともあれ気を紛らさなければなりませんし、善行はさしておもしろくもない気晴らしであるとはいえ、ほかにもっと楽しい気晴らしがない場合には、われわれが自分に与えることのできる気晴らしの1つだからです。

わたしは傲慢から、そしてあなたに対して有利な地歩を占めるために、しているのです。

要するに、万事を自分の方式で割り切ろうとする頑固な精神から、そして無神論者にもどんなことができるかということをあなたに示してみせるために、わたしははこんなことをしているのです。』     アナトール・フランス著『神々は渇く』より


利己主義と利他主義は永遠のテーマだと思う。

利他主義的な生き方が正しいとするのが世間一般の常識だが、気になるのがどちらの主義にも利という言葉がついていることだ。

自分を利することと相手を利すること。

果たして相手を利するまでする必要はあるのだろうか?

相手に危害を加えるのは言語道断、そのような権利は誰にも認められないし、人道に反することだ。

それと同様に、己を犠牲にし、他人を利することを強制することは己自身の権利に反することにちがいない。

また文学や芸術を考えているとこういった主義の相違に行き当たる。

人はえてして、結論を下したがるし、安易に判断したがる。

第一、こういった主義が定義され、その主義に考え方を区分するというやり方自体が強引な短絡的判断だ。

指標としての定義区分はその道の初心者にとって有益なものであるからその点ではとてもいいとおもう。

しかし、定義ありきの議論や創作というのはナンセンスだ。

制作にしろ、行動にしろ主義に定義されているにもせよ、結局は好みの問題である。

常に、自らの心底の気持ちと相通ずる主義を探求し続けることが重要だと思う。

それとここには主義についてと、人生の味気なさの気晴らしとして善行について書かれている。

人生を味気ないものと捉えるのならば、善行がその気晴らしであることを認めざるを得ないが、もう1つ付け加えたい。

それは、その味気ない人生を色づけ、豊かにするものは、詩や歌、芸術、人との交わり、つまり『心』の作用である。

『おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは こころなりけり』 高杉晋作 

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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