スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

僕と友 石川啄木の名歌

『打明けて語りて 何か損をせしごとく思ひて 友とわかれぬ』

『人並みの才に過ぎざる わが友の 深き不平もあはれなるかな』

『はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る』

『うぬ惚るる友に 相槌うちてゐる 施与をするごとき心に』     石川啄木著 『一握の砂』より


たとえ僕がない頭でないなりに頭をひねって、考えて、ようやくたどり着いた真理らしき事柄も友にとってはなんら取るに足らないことである場合が多い。

それでも僕は興味を持ってほしくて、また一緒に共有して、あるいは反論や批判をしてもらいたく打ち明けるのだが、興味も関心ももってくれない。

それのみならず、僕自身としては大変に有益な情報を与えているわけで―それこそ名だたる文学の思想などだが―、僕はただ損をしているだけのように思える。

新しい発見や視点を僕につきつけてくれないものだろうか?

僕は天才的な圧倒的な頭脳や感覚を欲する。

友よ、よりストイックに突き進んでくれ!そして圧倒的なものを僕の眼前に示してくれ!

だがこの世代の若者というのは―僕ももちろんふまえ、とかくに己を過大評価してしまう。

「なんで俺がこんなことをやらなきゃいけねえんだ?俺はもっと才能があるから人並みのことはやりたくない」

こんなふうに思うのが若者の身の程知らずのうぬぼれというものだ。

そんな不平はまさに「あはれなるかな!」所詮僕たち若者というのは人並みの才能しか持ち合わせていない。

圧倒的な存在感と、卓抜な頭脳は他を寄せ付けないほどのものだとおもう。

それは己にも実感できるし、まわりが証明してくれるはずだ。

そんな天才はほとんど存在しない。

森鴎外、ランボー、石川啄木など数えるほどだ。早熟の天才というものは圧倒的な頭脳と感性が異彩放つ。

『はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る』

これこそ詩、歌というものだろう。

「ぢつと手を見る」は圧巻というか抜群の視点だとおもう。

働くとはつまり手なのだ。手こそ人間の働きの大きな部分を占める。

その手をぢつと見ることはどういうことか?

失望か、その状態と現状との差に対しての哀れみか悲しみか。

社会に対する憤りか、心中にふつふつと沸き立つこの状況を打破するための静かな情熱か。

石川啄木像は失望や哀れみ、悲しみだが、自分ならどう思うだろうか、実際にそういう暮らしならば失望のみしか感じられないのだろうか。

どこかで僕はともにたいして誠実さに欠けるところがあるのではなかろうかとおもう。

反駁したいところを相槌ですましていることも多い気がする。

友情とはある意味そういった軽やかな哀れみのようなものを含んでいるのだろう。

人は別に友と戦うわけではないのだ、友と楽しい時間を過ごしたいのだから根本的な誠実さやまじめさは野暮というものだろう。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。