幸福のための3つの格率 (方法序説 第3部)

『方法序説』第1、2部では町の景観を美しくするために一つひとつの家屋を取り壊し、立て直すことは難しいが、それにくらべて、ひとつの家をその家主が老朽化や改装などによって立て直すことはよく見られることであることから、世界の人々の思想を健全なもの、真理に至らせることは難しいが、自分自身の思想を真理に至らせることはできることを説いた。

理想はその町の景観を美しくするためにその一つひとつの家屋がそのために建て直されることであるが、これはむずかしい。

それと同様に、己の思想を真理に至らせるよう最初から作り上げるのを世界の思想への始まりとして捉えることが理想であるがそれは難しい。

そうしてデカルトは己の思想の基礎からの建て直しを計るわけだが、建設中の家屋の変わりに、仮の住まいがいるのと同じで、思想にもできあがるまでの思想の代わりとなる思想が必要で、そのために3つの格率を定めた。

第1の格率は『自国の法律と慣習に従うこと』

この格率は当然のことだ、考えるに足らない。自分は意識するまでもない。そんなふうに思いがちだが、果たしてどうだろうか?

第1の格率にこれをあげたデカルトは本当に抜け目がない。

法律というのはえてして、見つからなければいいという心理を生み出す。

日常を顧みて自分は法律を順守しているだろうか?これは実際にもっとも格率とすべきことである。

この社会のルールだからだ。
それに慣習とは優れた規範であるとおもう。

これはその社会におけるアイデンティティを認識することを助ける。

ただ慣習というのは現在ではとても曖昧なものとなっているから、これを前出の4つの規則にしたがって判断しなければならないだろう。

いまの慣習は合理化や省略、惰性などそういった本来の慣習とは異なるのに一緒くたになってしまっている。strong>
これに加え、自分が共に生きなければならない人のうちで最も良識ある人びとが実際に広く承認している、極端からはもっとも遠い、いちばん穏健な意見に従って自分を導くこと。

その人びとの意見をその言葉ではなく、行動から酌むこと。

穏健なものを選ぶ理由は、間違った場合でも両極端を選択していなければ、労を少なく修正できるからだ。

そしてこの極端には自分の自由をいくらかでも削るような約束も入っている。


第2の格率は『自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと』

第3の格率は『運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めること』

分量が多くなってしまったので、第2、第3の格率については次の記事に書く。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる