学問の本質 (デカルトに学ぶ)

ぼくは子どもの頃から学校教育のための学問で養われたきた。

小、中学校の義務教育、大学入学のための高校教育、大学を卒業するための大学の講義。

そして、それによって人生は豊かになり、幸福になると説き聞かされていたので、これらを夢中でこなしていった。

だれもそうは教えてくれなかったが、あるときそれによって人生に有益なすべてのことについて明晰で確実な知識を獲得できるんだと信じるようになった。

デカルトはこれらを習得すべくこのうえない強い願望をもっていた。

しかし学業の全過程を終えると、多くの疑いと誤りに悩まされている自分に気がつき、勉学に努めながらもますます自分の無知を知らされたという以外、何も得ることがなかったように思った。

彼は、学校で勉強する教科を尊重しなかったわけではなかった。

どんな学問にもしっかりと修めればそれぞれ有益な要素を含んでいることを知っていたのだ。

彼は言う、「どんなに迷信めいたもの、どんなに怪しげなものまでも、ことごとく調べあげたことは、その正しい価値を知り、欺かれないよう気をつけるためによいことである」と。

それでも彼は主に教育と呼ばれる古い書物を読むという学問にあまりに時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう。つまり現世紀に行われていることについてひどく無知なままになってしまうと考えた。

彼は何よりも数学が好きだった。それは論拠の確実性と明証性のゆえである。

しかしその本当の用途に気づいていなかった。

そして神学に敬意を抱きいていたが、天国へ導く啓示された真理は自分たちの理解力を越えていることを知っていた。

哲学は、幾世紀も昔から、最も優れた精神の持ち主たちが培ってきたのだが、疑わしくないものは一つもない。だから、自分がそれで他の人よりも成功を収めるだけの自負心はもてなかった。

そのほかの諸学問については、その原理を哲学から借りているかぎり、確固たるものを得るのはできないと判断した。

そういうわけで、彼は文字による、書物による学問を放棄した。

そして自分自身のうち、あるいは世界という大きな書物のうちにみつかる学問を探求しようと決心したのだ。

そのために青春の残りに旅をし、さまざまな人と交わり、さまざまな経験を積み、運命が与える機会を捉えて自分に試練を課し、目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点をひきだすということをした。

その後、自分自身のうちでも研究し、とるべき道を選ぶために自分の精神の全力を傾けようと決心した。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる