時間の短縮

『一瞬間、一時間などという場合には、単調とか空虚とかは、時間をひきのばして、「退屈なもの」にするかもしれないが、大きな時間量、とほうもなく大きな時間量が問題になる場合には、空虚や単調はかえって時間を短縮させ、無に等しいもののように消失させてしまう。

その反対に、内容豊富でおもしろいものだと、一時間や一日くらいなら、それを短縮し、飛翔させようもしようが、大きな時間量だとその歩みに幅、重さ、厚さを与えるから、事件の多い歳月は、風に吹き飛ばされるような、貧弱で空虚で重みのない歳月よりも、経過することがおそい。

従って、時間が長くて退屈だというのは、本当は単調すぎるあまり、時間が病的に短縮されるということ、のんべんだらりとした死ぬほど退屈な単調さで、大きな時間量がおそろしく縮まるということを意味する。

一日が他のすべての日と同じであるとしたら、千日も一日のごとくに感ぜられるであろう。

そして毎日が完全に同じであるならば、いかに長い生涯といえどもおそろしく短く感じられ、いつの間にかすぎ去っていたということになるだろう。

習慣とは、時間感覚の麻痺を意味する。

あるいはすくなくともその弛緩を意味する。

新しい習慣を持つことや習慣を変えることなどが、生命力を維持し、時間感覚を新鮮なものにし、時間の体験を若返らせ強め伸ばすということ、それがまた生活感情全体の更新を可能にする唯一の手段であることをわれわれは心得ている。

習慣の切替え、すなわち変化とエピソードによる休養と回復、これが転地とか湯治場行きとかいうことの目的である。』

  トーマス・マン著 「魔の山」より 


楽しい時間はあっという間に過ぎて、退屈な授業やバイトは時間がすごくゆっくり流れるように感じる・・・

こういう体験は誰にもあることだと思うので、この一節の意味を捉えることは難しいことではないと思う。

しかし、ここで「鋭いなー」と思うのはマンが長い時間で見たときの短縮と延伸にも着目していることだ。

でもよくよく自分自身の体験と照らし合わせればきっとこの実感は得られる。

たとえば、1年を振り返ってみる。

どうだろう?

おそらくその1年は内容豊富な日々、驚くべき事件や楽しかった思い出に満たされているように感じる。

その記憶の中の単調で退屈な日々の記憶は感覚として認識するだけで、その長さ、厚みというものは感じられない。


それは1年の大半がそういった日々であることを考えれば、長い時間が短縮されてしまっていることを意味する。

人生を充実したものにするためには新しい習慣を持ったり、常に変化を感じる暮らしをする必要がある。

「習慣はそれに費やす時間を大きく短縮してしまう。」

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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