自分を律するとはなにか

ぼくは高校時代、某進学校に通っていた。

その我が母校(それほど思い入れはないが)の校訓が

『自主自律』であった。

ぼくはその当時「自立」ではなく「自律」であることに少なからず感銘を受けたものだった。

「自立」は形だけでも取り繕うことはできるが「自律」はなかなか容易でないと感じたのだ。

「自立」は簡単に言えば「自分のことは自分で責任を持ってやる」ということだ。

しかし「自律」はそれほど単純には思われないので少し考えてみたい。

「自律」は字のとおり、「自分を律する」ということだ。

辞書には、

「自立」は他の助けや支配なしに自分一人の力で物事を行うこと。

「自律」は他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。

さすが辞書、すばらしい解釈だ。

自律するには、規律を立てて、それに従った行動をとるようにしなければならないのだ。

自律できない人間は、

時間にルーズ、お金にルーズ、生活にルーズ、体も太る、お金も浪費する、酒癖も悪い・・・


挙げればキリがないが、どれも人間として醜い

自律できる人とできないひと、いったい何が、どこが違うのだろうか?

規律を破るもの、それは欲望である。

誰しも、もっと食べたい、もっとお金がほしい、寝たい・・・いろいろな欲望をもっている。

そして、経験上みんな知っている。

欲望にはこれまたキリがない。


あと1分、あと1回、あと1つ・・・。

それが手に入れば、それが満たされればまた、

もうあと1分、もうあと・・・

逆に考えれば、欲望はどこで止めても同じなのだ。

だから、そのことを知って、一番はじめのあと1回をやめればいい。

もしくは、もっと簡単なのはもう1回と思う前に止めてしまう。

ほかに、意識を向ける。とりあえず止めてみる。


ためしに何かを、簡単なのは食事中にデザートを一口でやめて、ほかごとをしてみると案外そんなに食べたくなかったなんてことに気がつくことなんかもある。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる