小説は鏡ともなり、絵画ともなる

小説をなぜ読むのか?といえば、それは「小説は鏡だから。」と答える。

小説を読むことで自分自身の考えていることや、感性、思考を確認したり気づくことができる。

「汝自身を知れ」とは思想上のすばらしい提言であるが、そのために読書は欠かせないだろう


しかし、小説の効用はそれだけにとどまらなかった。

小説は絵画でもあるのだ。

絵画は見る人に何かしらの分析をさせる、専門家たらしめる。世界を、思想を自発的に分析させるのだ。


ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』はそれを如実に体験させられる作品である。

この作品はイギリスのある田舎に住む身分の異なる1つのまとまった諸家族の人間関係を描いた絵画である。

800px-View_of_Chatsworth_House,_England
(ジェーン・オースティンの小説『高慢と偏見』に登場するペムバリー館のモデルであるとされるデヴォンシャーのチャッツワース・ハウス)

絵画は風景をしか表現することができないが、小説は人間関係を絵画的に、つまり視覚的に表現できる。

そこには風景や、道徳や、社会情勢など不必要な要素は含まれていない。

ただ、大部分が会話で成り立ち、その会話の中に人物の思考や性格、人間関係のほとんどが描出されている。

その技術の高さはおどろくべきものだった。

読了後知ったことだが、この作品はジェーン・オースティン21歳のときの処女作である!

信じられない。また天才を1人知ることができた。早熟の天才。

また僕の新しい小説の可能性と読み方を発見させてくれた。傑作である。

<追記>
『高慢と偏見』という表題が冠せられているが、これは主にダーシーとエリザベスがそれぞれ高慢と偏見を体現している。

エリザベスは偏見によって一時幸福を手中にしながら、それを逃してしまう。

その偏見が生じたのはまぎれもなくダーシーの一見したところの高慢さである。

高慢と偏見は往々にして誤解を生みやすいものだ。

高慢は本来のやさしさや気立てを隠してしまうし、偏見はものを正しくみる目を曇らせてしまう。



大体、追記に書かれていることは重要なことである。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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