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孤独は一層深まった。

世界に働きかけると醜い人間にぶち当たる。こんなことを言えば差別主義者だと言って批判される。みな人間は美しいと。あなたの心の方が汚れているのだと。

善意は目に見えない。目に見えないからこそ善でありうる。善とはなんであるか。思いやりとでもしておこう。思いやりはもろく、不運によってさえ簡単に台無しになってしまう。

その不運につけこんで、金品を要求し、すごんでくる輩がいた。小さなわが子を持つオヤジである。子どもにその姿を見せることができるのだろうか。醜い大人よ。心も貧しい貧乏人がガキをつくって金に困って金に汚くなっていく。金もないのに立派な家を建てて、不寛容になって腹いせに悪態をつく。とにかくみんながイライラしている。金もない、心の豊かさもない。あるのは欲だけ。

孤独は気持ちから生れる。孤独は気分である。

私にもかつてはそれなりに友人がいた。数多くの遊びに行けるような、笑いあえるような友人が。

彼らが不寛容になってというよりも、私が不寛容になったのだろう。相手から足が遠のいたことも数多くあったが、私から遠ざかったように思える場合が多かった。友人関係には昔から悩んでいた。好かれるような人間ではなかったからだ。そして今は、すっかり失望してしまっている。自分にも友人たちにも。

私は友人を愛しているがゆえに、彼らにもっと尊敬できるような人間であってほしいと思うのだが、その多くがうぬぼれが強くて、なによりいけてないのだ。モテるやつもいなければ、めちゃくちゃ賢いやつもいない。努力家もいなければ、退廃的なやつもいない。しかし、友人だから私は何も言わずに黙っている。ダサいと思っても、無礼だと思っても、ナンセンスだと思っても黙っている。

本当は私はもっと彼らにイケてるやつになってもらいたいのだが。私がイケてないから周りもイケてないのだ。

腹蔵しているから孤独になっていくのだろう。友人がイケてないというのはけっこうきつい。でもダサいからやめたほうがいいとはいえない。

すっかり私は無情になって、他人には無関心、感情を抱かず機械的に対処している。ずいぶん気が楽だ。相手が怒ろうが不満に思っていようがへでもない。心は乾いた。たくさん傷つき、悲しみの後である。

景色は色を失って。本当に色は失われるものだ。世界は灰をまとい、段ボールでつくられたようにペラペラで温かみも感じられない。目は網膜に像を映すが像でしかない。無。機械のような私。
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Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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