幸福を与える仕事 望む仕事と望まれる仕事の矛盾


ひとは幸福になりたいと思うならば、何よりもまず正しい仕事をさがすがよい。失敗の生涯はたいてい、その人が全然仕事を持たないか、仕事が少なすぎるか、あるいは正しい仕事を持たないことに、その根本の原因がある。   『幸福論』 ヒルティ著より


人にとって、最もつらい瞬間は「自分は生きている意味があるのだろうか」と考えてしまうときかもしれない。生きている意味を知り、理解し、見つけることのできた人は最高に幸せだけれど、世の中のほとんどの人は探し出せずに迷いながら生きていることであろう。そして日々のせわしさの中でそんな不安や迷いは打ち消され、生きる意味を問わず、そこから徐々に目を背けてゆく。生きることの意味を教えるのは宗教であり、生きることに意味を与えるのが信仰であると私は最近になってそう悟るようになった。そしてまだ生きる意味を自分に示せずにいる、ストレイシープである。

私は長らく定職についていなかった。それは「生きている意味」の問いに真っ向から立ち向かうことになるからであった。その人の仕事は、その人の人生観であり、思想を表している。私はその人の仕事からその人間性を判断し、仕事ぶりによって性格を判断し得ると考えている。それを自分自身に向けたとき、私はどんな仕事を選ぶか?それは非常に困難な問いであった。実際に、私は今の自分の仕事には満足している。給料は安く、危険もあり、ときに理不尽もある。けれども、気楽で自由もあり、直接人に接して、サービスを提供するので感謝されることもしばしばだ。仕事が私の考え方と思想を表すがゆえに、この素晴らしき仕事が何であるかを明らかにすることは控えるが―私は普段から、明言を避けている。残念なことに、必ず他人からは非難まではいかなくとも、苦言を呈されるからだ。給料が少ないだの、みじめだの、将来が不安だの、そんなようなことだ。客観的に考えれば、実に親不孝であると自分でも思う。私の幸福感は無視されている。―「この仕事は意味があるのだろうか(生きて行く術として間違ってはいないか)」という問いが頭に浮かんだことは一度もなく、私に幸福を与える仕事なのである。

先日、あるお客様宅へ仕事で伺うとリビングで女子高生が受験勉強に励んでいたので―私は家庭教師も塾講師もやっていたことがあるというのと、なにより勉学に興味があるので仕事をしながら様子をうかがっていると名古屋大学を受験するつもりであることがわかったので、作業後、奥様と、「娘さん、受験勉強がんばってますね」という話からいろいろとしていくうちに、私も友人の何人かが名古屋大学に進学し、また私自身も受験対策として過去問などには精通していたからいくつかアドバイスをしたところ、全く予想していなかったのだが、家庭教師を頼まれてしまった。立場上、なかなか時間がとれないことなどいくつか留意していただくことがあることを伝えたうえで引き受けることにした。人の役だつことは私としてもうれしいし、勉学に関することで役立てるならこれほどうれしいことはない。私が人の役に立てるのはわずかな知識と思考、そして貧弱な労働力としてでしかない。しかも、大学受験レベルの思考力の鍛錬は私自身にとってもボケ防止のようなちょっとした息抜きとして最適である。すでに高校時代の教材はほとんど破棄してしまったため、青チャートⅢ・C―ああ、なんと懐かしい響き)―を近くのブックオフで旧課程のため108円という格安のものを発見し、購入して、指導してほしいと頼まれた単元を復習するなど準備は怠らない。英語や古文、化学などその要望は多岐にわたり、すでに多忙な毎日に、また一つ日課が増えることとなった。就寝前に試験問題を一題解く。少し日々に緊張と刺激が増えてかえってよかったのではないかと思う。ただ、皮肉なことに、私が価値のあると思った仕事よりも、勉強を教えるという仕事でもなんでもない趣味の延長のような仕事の方がありがたがれる現実がある。そんなつまらない仕事をする時間があるのなら、子どもに勉強を教えて、少しでもいい学校に行けれるように手伝ってくれというのである。
関連記事

ホテルモントレ横浜 演出された横浜らしさ Eggs 'n Thingsのパンケーキ 恐ろしいモンスター


「人は見た目が9割」という新書が何年か前にベストセラーになって、私もちょうどその頃は「バカの壁」に非常に共感してから新書をいろいろと読んでいた時期であったから、発売して間もなく読み終えた。「名は体を表す」と同等に「外見は内面を表す」と私は信じていたのでこのタイトルにとりわけ興味を抱いたわけではなかった。話題になっていたから読んだにすぎない。そのため内容も「バカの壁」ほどには残っていない。ほとんど残っていないと言っていい。いずれにせよ「人は見た目が9割」とは納得のできる主張であり、実際、人に限らず、何か広義の意味で機能を持つ事物は見た目でその機能の程度を推し量ることができると言えそうである。

私たちは無意識にしろ、意識的にしろ、第一印象によって何か判断をしないではいられない。そしてその印象をもって、その対象物を徐々に認識し始めていくので、すでに私たちは第一印象に左右され、偏見を強いられる。この呪縛から逃れること、それは困難をきわめるのだ。

dccd4abd38a702c2204bbd0f2ad6a77e_convert_20160919013846.jpg

「ホテルモントレ横浜」のエントランス。私には好印象だった。クラシカルで控え目ながら気品が漂い、それと合わせてホテルのコンセプトというものがうかがえる。なるほど、ホテルに一歩足を踏み入れると自ずとそれは示された。

IM000000043624_convert_20160919014113.jpg

横浜が古くより航海の玄関口であり、常に世界の文化と混じり合いながら歩んできたことをうかがわせる、航海する豪華客船や領事館のようなロビーは実におもしろかった。格式ばりすぎない、遊び心が感じられる空間はくつろぐ場所として最適だ。ホテルモントレは日本全国にホテル事業を展開しているのでどんなホテルがあるのか機会をとらえて滞在してみたい。

ホテル界隈を散策していると、私はまたしてもクレイジー極まりないものを発見してしまった!

pan2_convert_20160919022910.jpg

にわかに信じられるだろうか?これはもはや悪ふざけと言わざるを得ない。「食べ物で遊ぶな」レベルである。ある意味食べ物でこれほど衝撃を受けたことはないかもしれない。しかもこの峻峰が刻一刻と崩れかかってゆくのである。壮観だった!そして私はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。地響きがおさまり、崩壊の恐れがなくなってからようやく私は食べるという解体作業を始めることができた。既に脳内では甘味が先走って味覚を覆いつくしている。私は耐えることができるであろうか?そんな不安が脳裏をよぎる。フォークを入れる。実に軽い。パンケーキも然り。店内の混み具合と大胆な盛り付けがかえって励みになった。おいしいことの証明に思えたのである。尋常でないクリームは批判の余地はある。しかし、やみつきになりそうな恐ろしさを持っている。このインパクト、そして味わいのギャップは強烈な印象を与える。ボリュームのマジックもあるかもしれない。心して食らうのだが、どうして余裕で平らげられる。もう一度言おう、実に恐ろしいモンスターだ。
関連記事

一人の人間として社会で生きられるように育ててくれた親への感謝

ああ、子に対する母の愛には、他のあらゆる愛を凌駕する永遠のやさしさが秘められている。この種の愛は我欲によって冷まされることはまずない。ましてや、危険に晒されたからといって怯え慄くこともない。また、その子が立派な人物に成長しなかったからと言って、その愛情が消滅することはない。母親というものは自分の生涯のあらゆる歓楽を犠牲にしてまでも、子供のために何かをしてやりたいと考えるものである。親はすべての喜びを、子供のために捧げるのである。親は子供の名誉を誇り、子供の立身栄達を喜ぶのだ。しかし、もしわが子に不幸が降りかかるようなことがあれば、不憫さゆえに親はその子をなおさらいとおしく思うのだ。わが子に不名誉が及ぶことがあったとしても、それにかまわず親は息子を愛して慈しむのである。もしも、全世界の人々がわが子を見捨てたとしても、母親は愛しい自分の息子を守るものである。   『スケッチ・ブック』 アーヴィング著より



この春、私は家を出た。かつて思い描いた未来では、私はとっくに家を出て、自立して、立派な人物になっていたはずだった。親を安心させ、親孝行らしい親孝行の一つや二つやり遂げているはずだった。ところが、ずいぶん遠回りをしてしまって、私も若さを失い、親もすっかり年老いて、私が果たそうとした立派な親孝行はこの遅れによって難しいものになり、どうやって形を繕おうとも苦い思いが混じってしまうであろう。仮に、親子が信頼しあい、運命がもたらしたその問題を受け止め、力を合わせて乗り越えることができたなら、その絆は生涯かたく結ばれたままであったであろう。私自身は精いっぱい向き合ったつもりだ、そして親も自分自身に向き合い、親としてのあるべき姿を模索したであろう。しかし、問題を正しく把握し、私を理解することはできなかったようだった。人は、己が経験したことのないことは想像することさえ難しい、ましてやそれを理解することなど不可能である。私はこう理解していた、だがせめて親身になって分かろうという心と心を氷解させようという努力を感じたかった。ついに私は希望も夢もあきらめて、そのまま故郷に残ることにした。家を出る大義はなくなった。親と過ごす時間の有限に初めて思いをはせたのはこのときだった。親と過ごすこの当たり前の時間を惜しんで生活し、終わりを予期し、永遠を見いだせないかと奮闘した。自分の命を捨ててでもわが子を守るという母の言葉と、無理解という大きな矛盾に私は大いに苦しんだ。やがて仕事を始め、少しずつ自分の力で立とうという人生への挑戦に駆り立てられていった。振り返れば、その時その時に課題があり、深慮があった。自立のための準備期間と言えなくもなさそうだが、怠慢とも結論できそうだ。あれほど長く、親元で暮らしていたにもかかわらず、日々自分の力で生活を送れていることは少なからず私自身驚嘆した。親元を離れて初めて親のありがたみが分かるというが―これはおそらく不便を感じて、親の世話がいかに行き届いていたか、どれだけその配慮の元、守られ助けられていたかに気づくということだろうが、私の場合、何不自由なく親がいたときと変わりなく生活を送れていることに気づいた時、親がいかに私を鍛え、自立するための教育を与えてくれたか、そのことを示していた。規則正しく、身辺整理を怠らず、日々を大切に生きること、それを何度も何度も無意識のレベルにまで刷り込む作業を私は知らず知らずのうちに親元で施されていたのである。一人の人間が、一人の人間として社会で生きること、それはとても尊い。私は一人、心で親に向かって、今まで感じたことのない崇高な感謝と尊敬の念を抱いた。
関連記事

霧笛楼 シーガーディアンⅡ 洗練された男女

私は高校時代、進学校に通っていたので多くの学友が県外の大学へと進学していった。だから、全国各地に友人がおり、旅行がてら会いに行くという楽しみを何度か体験した。T氏もやはり県外に進学した。東京の名門大学である。T氏が言うところによれば、私とT氏は落ちこぼれだという。たしかに私たちは受験生でありながら、二人でよくメイド喫茶やライブハウスへ行ったりして、勉強についていくのが精いっぱいであったかもしれないが、なにか鬱積したものを感じていただけにすぎない。メイド喫茶や地下アイドルのライブに誘うのはきまってT氏で、私たちはもともとそれほど親しくはなかったが、私が暇そうにしていたから、たまたまT氏が誘ったのが始まりだった。その頃から彼には浪費癖というか依存症ぎみなところがあって、ときにその傾向が爆発的な能力を発揮し、彼はエリートとしてすでに立派な肩書を得ているが、一方でキャバクラ狂いになっている。そんな彼が、仲良くしているキャバクラのお姉ちゃんと横浜で遊ぶから会いに来ないかといってきた。T氏に会うのは久々であったし、キャバクラの姉ちゃんとプライベートで遊ぶなんてことは想像さえしたことがなかったので、私は仕事の休みを取って横浜に遊びに行った。

遠目からでも、T氏が一回り贅肉のせいで大きくなり、存在感が増していた。その隣にピッタリ寄り添い、クラッチバックだけを小脇に挟み、白のワンピースを着た女性、それは間違いなくキャバクラの姉ちゃんという女性だった。T氏は久しぶりだな、と肩をたたきいた、その後ろで彼女は私に軽く会釈した。外はとてつもなく暑かったので、私たちはすぐにタクシーを捕まえて、元町の方へお願いした。

「横浜は来たことあるか?」

「ああ、何度か。」

「デートで?」

「デートでも来たし、東京へ行く途中に寄ったこともあるし、独りで横浜観光へも来たよ。友人たちとも来たことがあるな」

「東京ほど、窮屈じゃないし、名古屋ほど味気なくないから、心地いいね。横浜の近郊は実に便利だ」

姉ちゃんは全くしゃべらない。歳は私たちよりも若く、見るからに大学生だ。T氏は客以上、友達未満というところだろうか。

「ユミちゃん、ケーキでも食いに行こうよ」とT氏が前の助手席の姉ちゃんに声をかける。「いいわね、行きましょう」

「あなたはHさんだったかしら、私が何か質問したり、説明を求めると、Hに聞くべきだなそれは、あいつは歩く辞書みたいなもんで正確無比な答えが返ってくるからな。って言うのよ。この人、女はどちらでもいいことをはっきりさせようとするから面倒だなんていうのよ、ひどいでしょ」と薄紅色のリップの口元は不満げだ。

「Tは文系を馬鹿にしてるし、読書なんて不健康でいかんとまじめに考えているからね、仕方ない。でも、こんなかわいい女の子と横浜で遊べるんだから、悪くないね」、私は皮肉を込めた。

譛ャ迚ァ 4131_convert_20160905223908

T氏は額の汗を拭いながら、「畜生、あっついな」と言い、手を大きく振った。

「なあ、日陰歩けよ」

「暑いのはいいんだ、暑さに行動を乱されるのがいけない。日陰ばっか歩いてるのも滑稽だろう」。その前にはユミが頑なに壁伝いに日差しを避けながら歩いていた。

「すごい汗だぜ?」

「店はもうすぐそこなんだ、構わん」

fcc00629621cd3495376ee87de3027f0_convert_20160905225603.jpg

以前、私はT氏から霧笛楼の『横浜煉瓦』という菓子をお土産でもらったことがあったから、店の存在は知っていたが―T氏は毎度こちらに戻ってくると私に崎陽軒のシューマイ弁当だとか気の利いたお土産を買ってきてくれる―、なるほど風格のあるパティスリーだ。古き良き時代を残しつつ、洒脱な空間は非常に心地よかった。何よりユミが一番その空間に似合っていて、この屋敷の主人のように私に映ったほどだった。

「ユミちゃんは、イチゴのタルト?今日はモンブランかい?ああ、この何とかっていう、難しい名前のやつな。オッケイ。Hは決まったか?」

「ああ、俺はこのなんかグラスに入ったやつにするよ、よくわからん名前がついてる」「あと、ホットコーヒー」

三人のケーキとグラスやらカップやらが置かれると統一感はまるでなく、人間性という観点でみればそれぞれ似たところがないのを物語っているようだった。



「俺たち、ニューグランドに泊まるけど、Hにはモントレ横浜を取っておいたぞ。ニューグランドには及ばないにしてもいいホテルだ。ユミがニューグランドなら泊まってあげるっていうから仕方なくだ、悪いな。」、なにかの臭いが鼻についたというように顔をしかめるとT氏はこういった。

「いや、ニューグランドは前に泊まったことがあるから、かえってそのほうがよかったよ。歴史のあるホテルみたいじゃないか。大いに結構だ。ありがとう」

main_sea_guardian_2_convert_20160905232339.jpg


その晩、私たちは三人でニューグランドのバー、シーガーディアンⅡで酒を飲みながら語り合った。非常に愉快な夜だった。とてもユミが大学生には見えなかった。大人びていて、作法というか所作をわきまえていたのである。T氏はT氏で実に気持のよいふるまいを終始乱さなかった。洗練された男女とは彼らのことをいうのであろう、私は最後の一杯を彼らに捧げるべく飲み干した。
関連記事
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる