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あれもこれもではなく、あれかこれか 人生とは思い出づくりである

いかに多くの人びとが、とるにたりぬ効用をもつ愛玩物に、貨幣を投じることによって、破滅しているだろうか。玩具を愛好するそれらの人びとを喜ばせるのは、効用であるよりも、それを促進するのに適切な機械の適合性である。かれらのポケットはすべて、小さな便宜品でつまっている。かれらは、もっと多数を運ぶために、他の人びとの衣服では知られていない新しいポケットを工夫する。かれらは、多数のつまらぬものを身につけて歩きまわるのであって、それらは、重量においては通常のユダヤ人の箱に劣らず、ときには価値においても劣らない。それらのうちのあるものは、ときには、なにかの小さな用途に役だつかもしれないが、それらのすべては、どんなときにも十分に、なくてすんだであろうし、それらの全効用はまちがいなく、荷物を身につけていることの疲労にあたいしないのである。

しかも、この原理によってわれわれの行動が影響されるのは、そのようなつまらぬ対象についてだけではない。それはしばしば公私双方の生活のもっとも真剣で重要な諸追及の、ひそかな動機なのである。   『道徳感情論』 アダム・スミス著より


おそらく、わたしたちは知恵が進んで、便宜品でつまっているポケットが不都合であることに気付いた。そこまではよかった。しかし、その改善法が賢明でなかった。わたしたちはそれを一つのものにまとめて集約しようと考えついた。そして出来上がったものはスマートフォンである。

わたしたちのポケットには今スマートフォンだけがあればほぼ充分である。今後、このスマートフォンがキーにもマネーにもなり、もしかしたら乗り物にまでなってしまうかもしれない!とにかく、わたしたちはそういうところに向かっている。すべてを一つにまとめる。元来怠惰な人類は必要か不必要かを考えることに辟易する。そこで、とりあえず持っておくという楽な選択を可能にするために技術を発達させてきた。思考力ではなく、技術を磨いてきた。わたしは世の中に無駄なものがあふれていることに愕然とする。世話になったことのないサービスや扱ったことのないものが世界を埋め尽くしている。息苦しく、視界が遮られ、生きづらさを感じる。もっとこの世界をシンプルにできないものだろうか。経済成長が浪費に支えられていることは嘆かわしい。食物や日用品の品質の向上によって経済を支えることはできないものか。優越感や快楽ではなく、それぞれの個人に適した快適さの追求でいいのではないか。生命の安全と精神の平静、わたしたちが求めるものは単純明快だ。弱く、孤独なわたしたちがこれらを獲得するために社会がうまれたにすぎない。もしも、わたしたちが己の持ち物の一つひとつを丁寧に慎重に吟味し、取捨選択することができるのならば、無駄をなくし、環境を配慮するならば、めぐりめぐって快適さが跳ね返ってくるのは明確だ。体は一つしかなく、墓場にはなにも持っていけない。自分を他人はそれほど気にしていない。普段の努力と様々な想定がいかに徒労であるか。わたし自身、読書が好きだが、割合に蔵書は少ない。「読書が好きな割に、一つの本棚に収まる程度しか本がないんだな。」とよく友人に驚かれる。たしかに、わたしも自分自身たくさん本を読んできたように思うが、蔵書をみてみるとなんだか心もとない感じがする。言い訳と取られても仕方ないが、わたしの価値基準で、傑作だと思えるものでなければ、繰り返し読まないし、貧弱な文体のものなどは読み切らずにそのまま捨てる。読み終えて、もう一度読みたいと思えるものでなければ、これも同様捨ててしまう。するとなかなかに蔵書は増えていかないのだ。それでも、持ち物で多いものは本で、その次に音楽のLPやCDだ。洋服や靴、家具や絵画などはだいたい一つか、それに予備が加わるかである。ただし、私は生来ノスタルジアに敏感なので、思い出の品が多い。もしかすると、私がもっとも大切にしているものは思い出であるかもしれない。もっとも価値があるものは、自分自身の”心”であり、思い出はその掴むことのできない”心”の唯一の認識であり、”心”の強調なのだ。人は次第に思い出と生きていくようになる。未来に生きるようで、過去を生きるために今を生きている。思い出とならなければ、現在も未来も無意味だ。
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先入観は誤りに導く 世襲は負の連鎖 世襲や民族性の絶対的宿命


先入観は誤りに導く。

あらゆる人が手段のことばかり考えて、目標に目を向けようとしないのは、嘆かわしいことだ。誰でも自分の職分をどのように果たすかは考えるが、職業や祖国の選択については、運まかせだ。

あれほど多数のイスラム教徒、異端者、異教徒たちが、それぞれ先祖代々の生き方が最良だという先入観を植え付けられ、ただそれだけの理由で、その生き方を踏襲するのは、憐れむべきことだ。そして各人が、錠前屋や兵士といった、それぞれの職業を選ぶのも同じことなのだ。

―――

だからこそ未開人たちには、プロヴァンスなど無用なのだ。   『パンセ』 パスカル著より


世襲は百害あって一利なしだと私は信じている。世襲議員という場合にもっともよくつかわれる世襲というワードだが、議員に限らず、公務員やサラリーマンに至るまで、私は自分の親と同じ職業についている人間を憐れむべき人間だと思っている。自分は自らの意志でその職業を選択し、それが偶然親の職業と同じだったのだ。という反論はどうだろう?すでに、親があなたが生まれた瞬間にイメージするあなたの人生は親自身の人生になぞらえて形成されているので、あなたがいくら自らの意志を強調したところで全く説得力に欠ける。あなたはあなたの職業に達する道のりだけを目にしてきた、当然そこにたどり着くのは当然なのである。幸いなるかな、議員の子ども、社長の子ども、あなたがたはそうした深い考えもなく高給を得る道を閉ざすことができるではないか。自分の親とは絶対に同じ職業にはつかない!この固い決意は、反対や抵抗などの困難と努力を要するため、人間力を高める。私の体験では、親と同じ職業についている人間のその仕事に対する気持ちの薄っぺらさといったら驚くべきものだ。けれども、歌舞伎界に見られるように、日本特有なのか知らぬが、日本芸能や企業などは血縁によって継承されていっている。あらゆる争いは結局この”家族”という共同体で、この”家族”を守ろうとするところにすべての軋轢と矛盾が生じる。後継者不足、あるいは後継者は未定が当たり前になれば、その実態そのものが何か変化を迫られ、創意工夫が生まれるだろう。遺伝になどによって引き継がれるものは確かに大きいだろう、しかし、大切なのはそのものに対する熱意である。私はそうした世襲が当たり前の歌舞伎には興味を引かれないし、家族経営の会社は信用できない。一体、公務員の何パーセントが身内に公務員がいるであろう?サラリーマンのどれだけの割合がサラリーマン家庭で育ったことだろう。大卒の親のほとんどは子どもを大学へ行かせるだろう。私はそのすべてに不満があった。わかりきった未来を私は描きたくないのである。私はこの先、どれだけ断固否定できるだろう。

私は日本人であることさえ、否定したいし、先祖代々信仰している仏教でさえも否定したい。そのためには外国から日本を見てみることが絶対に必要である。私はどうしても、一度海外で生活するという経験をしなければならないと強く自分に課している。また、宗教も世界の様々な宗教に触れる必要がある―とはいえ、現代の宗教を取り巻く環境は非常に物騒で気が引ける。また、資本主義という世界の仕組みの中で、日本の国家としての在り方、政治や憲法も吟味していかなければならず、そもそもこの世界秩序も転換期を迎えつつあるのではなかろうか。この世界不況はもはや資本主義の終焉を示唆しているのではなかろうか。私にとって確実なことは、母国語が日本語であり、黄色人種であるということだ。日本語を扱い、日本語でものを考えることが、私が私であることだ。海外で暮らそうが、人種と母国語が変わるわけではない。世襲や民族のこうした絶対的宿命が存在することも疑い得ない事実である。この矛盾を慎重に解きほぐしていかなければならない。
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山中湖にあるカフェ『ペーパームーン』 文化と伝統を感じさせる菓子 あつあつパイと冷たいアイス


自然にあるものは限りなく、留まることを知らず、常にその姿を変えていく。空は移ろい、川は流れ、山は色づき、色を落とす。その中で湖は限られ、わずかに時の静止を許す。風は湖面を揺らすが、風が止まればやがて静寂が訪れる。ときには氷結し、湖面の様子は変化するが、遠慮がちである。私は湖に魅了される人間の一人である。

『森の生活』で知られるH.D.ソローがその生活を送ったのはウォールデン湖の湖畔であるのも偶然ではなかろう。湖の持つ、生命力を湛えた魅力に人々は今日も癒しと憩いを求め足を運ぶ。私も機会を得ては日本の湖を訪れる。どちらかといえば創造物の中にあって人間よりで、海より偉大でなく、川より精錬されすぎず、空ほど深遠でないからだ。

「富士五湖」はその名のとおり、富士山の副産物ともいうべきもので、豊かな水脈を擁することを表している。その中でも「山中湖」は特別私の気に入っている。富士山、湖を取り囲む森林、湖の占めるバランスが非常によく、適度に人間の手によって管理され整えられているのも利用しやすさという点で成功している。けれども、私の知識不足によるのかもしれないが、周辺には多くの別荘や宿泊施設があるものの、山岳地帯特有の非効率による不活発は否めず、やや古びた印象を与えないでもなかったが、実際に旅してみるとホスピタリティという面では十分満足することができた。

山中湖にある『ペーパームーン』というこちらのカフェ。

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黄金比を感じさせる切妻屋根、白を基調にしガラスで覆われた外観は深緑によく映え、湖畔にふさわしいたたずまいだ。十歳以下のお客様は入店不可というこだわりよう。まさに大人のための、湖畔での憩いのための空間づくりを徹底していて感動。入ると目の前にはショーケースに色とりどりの上品ではあるが手作りであたたかみのあるケーキが陳列されている。店内には大小さまざまなかわいらしい雑貨が並び、男性である私でもかわいい!と興奮してしまった。その中でおすすめという、アツアツのパイに、冷たいアイスが添えられた一品はそこらの喫茶店のパイとは一味違う本物の比類なきパイ。ただ見た目の華やかさと甘さを強調させたスイーツは私の好むものでないが、本来の熟練を要する、文化と伝統を感じさせる菓子は大好きである。今後、山中湖を訪れた際には必ず私は立ち寄ることであろう。それほどに気に入ったカフェである。
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Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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