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それは私が見てきたどんなものより天国に近かった 『アクアイグニス 離れの露天風呂』


温泉宿ではぜひとも離れに泊まりたい。

私が社会人になってした最大の贅沢はこの「離れに泊まる」ことかもしれない。

その記念すべき初「離れ」が『アクアイグニス』であったことは好都合でもあった。なぜなら、「離れ」の魅力を理解するには十分に足りるほどあらゆる面で充実していたからだ。そして特に感動したのは温泉宿の離れには不可欠な付属の風呂。私はいわゆる「露天風呂付き客室」の類は一般客室ゆえロケーションに期待できない―目隠しがあったり、開放感にかける―し、窮屈な場合が多く、泉質も感覚的に濃厚さが足りない気がする(滔々と温泉が浴槽を充たしているわけではないからか)のであまり好まない。しかし、「離れ」の風呂はそうではない。「離れ」の立地は離れというくらいだから、人目に付きづらく、かつ開放的なプライベート感に長けているため、風呂も自ずと露天、あるいは野天である。目隠しは最小限にとどまっているため自然の中で温泉に入るという気分を味わえる。
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さて、こちらも重要な泉質だが、おそらくその宿が所有する温泉のポテンシャルが最大限に引き出されているのが離れの風呂だろう。実際、アクアイグニスの離れの湯は見た目、肌触り、湯温、すべてにおいて申し分なかった。

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大浴場にも片岡温泉自慢の竹藪の中の秘湯を思わせる源泉掛け流しの桶風呂があり、温泉の特徴であるほどよいぬめりのある柔らかさを湯をたっぷり含んだ木材が強調し、非常に上質ではあったが、離れの露天風呂には劣っていた、という実感である。そしてロケーション、泉質もさることながら、部屋の眼の前に温泉が湧いており、いつでも何度でも浴すことができるのである。こんな贅沢はそうそうあるものではない!

愛する人の体温と共にそれを、つまり自然の鼓動を感じたとき、それは私が見てきたどんなものより天国に近かった。
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思想の終焉 自然とは習慣である 色即是空、空即是色 諸行無常 光と共にあれ

父親は子供の自然な愛情が消え去りはしないかと心配する。だが消え去りかねない自然とはいったい何だろう。

習慣は第二の自然であり、それが第一の自然を破壊する。

しかし自然とは何か。どうして習慣は自然でないのか。

もしかして、この自然それ自体、第一の習慣にすぎないということはないのだろうか。ちょうど習慣が第二の自然であるように。   『パンセ』 パスカル著より


私は特定の宗教を信仰していない。信仰なくして生きていけるとは思えないので、おそらく慣習と習慣をぼんやりと無意識に信仰しつつ、「自然に帰れ」との教えに従って生きてきたように思う。だが、この「自然」に関しての考察はあまりに心もとないものであった。木々、草花は太陽にむかって葉を伸ばす、これこそ自然だと私は信じて疑わない。しかし、りんごが地面に重力によって落ちること、これが自然の摂理だと説明することは不十分だと感じる。では人間にとっての自然とはなんであるのか?私たちが自然だと考えることのほとんどが慣習であり、常識と呼ばれるもので、習慣によって定番化された人為的なものなのだ。私が自然だと考えてきた多くのことが、人類のそれほど長くはない歴史と習慣によっていつの間にか草花に見られるような自然と同質のものとみなされるようになってしまったものだったのである。人間は習慣によってあらゆることを抵抗なしに受け入れることができるようになり、この抵抗なしに受け入れることを、本能だとか良心、自然であると誤解しているにすぎないのではないだろうか。ここに思い至ったとき、とうとう私は従うべき人生の教えを失ってしまった。自分自身に人としての道を、こう生きるべきであると課し、示すことができなくなってしまった。同時に私は「色即是空、空即是色」とこの世界を見る。「色、形のあるものはすべて、色、形のないもので、また色、形のないものが、すべて色、形なのである。」科学的に、数式的に考えるとこれは偽であり、意味を持たない。しかし、私は真実以上の揺るぎない確かさを感じる。私の言動は自ら選択した立場、あるいは決定した主義に基づく。正義や幸福は必ず負の感情を生み出す。私たちは確かに、正義や幸福に魅了され、それらを希望する。だが、ここにこそ元凶があるのも否定できないことであろう。愛は美しい、けれど私は愛よりも空である無でありたい。人を傷つけない恋はないという。悲しみのない愛はないという。正義も幸福もない、諸行無常の一刹那を空として無に生きる。想像力も意志の力も措定することさえできない。私はここに思想の終焉をみる。木々、草花が太陽に向かうがごとく、私は光に向かう。芸術もまた光を捉えることにほかならない。光と共にあれ。
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停滞は成長のとき


本当の意味の理想主義は、明らかに、われわれが現実からすっかり遠ざかって、自分の夢想の世界にとじこもることで現実をごまかしたり、あるいはわざと現実を無視したりすることにあるのではなく、むしろ普通に行なわれているよりも一層深く世界を把握し、そしてこれを自分自身の内部において克服する点にあるのである。というのは、われわれ自身がすでに一個の小世界であって、確固たる原理と良い習慣とでもって、まず最初にこの小世界を克服しないかぎり、およそ世界を克服することは不可能だからである。   『幸福論』 ヒルティ著より


ブログの更新が滞るとき、それは成長の証であり、思想における何かしらの変化を意味する。ここ数週間、大きな変化が二つあった。これについては後々記すことになるであろうが、まだ自分自身の内部において消化しきれておらず、克服するに到底及ばない状態であるから、時間による濾過と習慣による下ごしらえをしたのち、その間も反省と吟味、試行に励みつつ、この経験に意味と教訓を見出したいと思う。私にとってブログとして記事にするということは、体験を感性の経験で終わらせるのではなく、解釈を与え、私自身に問い、答えることである。「記事を書かなければ」ではなく「記事にできるか」という自分への挑戦である。記事にできなければ、私はその体験から取るに足りないものしか得られなかったか、その体験を十分に把握できなかったということになるのだ。だから、記事にしたいが記事にすることができない、すなわち更新が滞るとき、私は自問自答し、思索を綿々と続ける、こういうときこそ人は成長しているのではないかと、私は思うのである。
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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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