「明日は何をしようか」

死とか、追放とか、そのほか恐ろしいと思われるすべてのことを、毎日、目の前に思い浮かべるがよい。そうすれば、卑しい考えもわかず、激しい欲望も起こらぬであろう。   『幸福論』 ヒルティ著より



生きている以上、死のリスクから逃れることは出来ない。私もあなたも明日死なないとも限らないかりそめの命。だから大切に、慈しむ必要がある。いや、これは当然起こるべき感情だ。

私は労働によって死のリスクを少しあげることになった。売るものがなかったから命のひとひらを削って、売ったといった方がいいかもしれない。健全な肉体と精神も学歴も資格も社会人としての素質(従順、奉仕精神、協調性など)も何も供えない労働者として失格の私のセールスポイントは簡単に、平均以上のまじめさと健康な身体であった。命の価格は安いものではない、その証拠に個人的には満足のいく給料をいただいている。

危険と隣り合わせの仕事も2年目も半ば過ぎ、全体の把握と展望ができるようになり、改善も少しずつできている。ただ私が気がかりなのは、非常にありがたく、好きな仕事ではあるのだが、確率論で言えば年数を重ねれば重ねるだけ死のリスクは100分の一にしろ1000分の一にしろ、その一にあたったら死を意味するわけだから、増していることになる。それゆえ、死なないうちに次のステップへ進まなければならないと焦慮してもいる。だが私に向いている仕事などありそうもないのも現実である。といって、今の仕事をし続けるわけにもいかぬ。今から少しずつ動き出し、考えを深め、作戦を練っておいて遅すぎるということはないであろう。

こんな風にして日々を過ごしているから、卑しい考えや激しい欲望は確かに起こらない。毎日に楽しみを見出し、読書や食事、散歩や運動といった基礎的な生活で私の日々は成り立っている。卑しい考えや激しい欲望とは無縁である。私はこれからももっと日々の楽しみを吟味し、深く複雑におもしろみを見つけていくつもりだ。まだ命を失いたくはない。今よりも楽しい日々がまだまだやってくるであろうし、私はどんな未来も創ることができる。そう考えるとわくわくする。壊れやすく失われやすいもので構成される人生ではあるが、だからこそ慎重に一つひとつを積み重ねていって自分の人生を構築していくのである。私は「明日はなにをしようか?」と眠る前だけでなく、仕事をしながら、夢想しながら考えている。今日より明日が充実し、何かによって充たされ、彩られていく。脳内には物語が紡ぎ出されていき、記憶には新たな思い出が刻まれ、身辺には愛を感じるものにおおわれている。

「明日は何をしようか」
関連記事

自然児Kさん 瀑布の歓声 白糸の滝


私はK氏をKさんと呼んでいる。彼は同齢の友人であるが、いつからか敬称を用いている。彼の先見の明と寛容と無私に私は尊敬の念を持たないではいられないのである。彼は自然児である。世間を逃れ、山に小屋を作り、そこで絵を描いて暮らしている。それがどうして、なかなか立派な住居なのである。絵を描くばかりでなく、家具の類を造る技術もあるので山小屋を作ることは造作ないことであった。彼は知人にその絵や家具などの木工品を売ってもらい最低限の金を得ている。無論独り身ではある。だが、その生活と彼の寛容と無私に魅了され、ほれ込む女性は多くいて、私もその何人かとは実際に食事を共にしたこともある。

彼は絵に行き詰まるとよく山を歩き回って感覚を浄化する。それでも満足させられないときには見慣れない川や、崖、洞窟などを求めて旅に出る。その旅に彼は私をよく誘った。私は相伴という格好になることが多かった。

「富士山の樹海へ行かないか。」、富士の樹海、青木ヶ原樹海というと俗に自殺の名所という印象であるが、Kさんにとっては神秘の森であり、生きた自然の姿に触れることのできる境であった。私は賛成した。」

彼は財布や小道具の類もすべて手製自作のものを使用していてその出来栄えは見事なものである。その最たるものは彼の愛車だ。原型は軽バンなのだが、車内はベッドと小卓、ガスコンロ、小型ストーブ、変圧器、オーディオ、ノートパソコンが備え付けられ居住スペースになっている。外装は海風の塩分で全面錆が目立ち、ガラスには枝による無数の傷が縦横に刻まれている。

富士樹海に向かう途中、Kさんは行く先の名所などの予備知識になど興味がないのでひたすら目的地へ進行する。

「ここいらで一休みさせてくれ。」

Kさんはそう呟いて、改造した後部座席へ退いてベッドに横になった。私はそこでしばらく携帯した徳富蘆花の『自然と人生』を読んだ。

「Kさん、少し道を逸れれば、「白糸の滝」というのがある。幅広のあるいは落差のある一本の滝ではなくて一つひとつは小規模な無数の滝が並んで、その名の通り、無数の絹糸が紡ぎ出されているように見え、壮観で美しいそうだ」。名所やエピソードなどの旅の知識は幾分持ち合わせている私はそう案内した。

「興味深いね。人工的なものはどうも好かないけれど、滝や洞穴なんかは奥深い自己の深層で感動を呼び起こすんだ」。そう言って、Kさんは鼻を二回こすった。

観光名所の一つとあって、駐車場や歩道がもうけられ売店も多くあった。Kさんは若干顔を曇らせるだけであった。

IMG_0135_convert_20160222101938.jpg

確かに、神社の参道のように、滝壺まで舗装路が続くのは興ざめではあったが、滝壺まで下りて行けば、そこは瀑布の歓声に包まれる滝のホールのようであった。ステージには虹まで架かっていた。川の水はどこから来るのか?山の湧水が源流だ。湧水とは?水はこうして山から染み出してくるのである。

関連記事

恋愛という茶番について


男は利害を見極めて野心を抱く動物である。そして、その本性をあらわにして浮世の闘争と喧騒のなかに身を置く生き物なのだ。だから、恋愛は青春期の装飾か、あるいは幕間に歌われる歌ぐらいにしか思っていないところがある。男は名声と富を求め、世間の注目を集めようとし、他人を支配しようとする。しかし、女性の一生涯は愛情の歴史だ。心情そのものが女性の世界である。そこにこそ女性の野心が支配権を握ろうとし、隠蔽された財宝を探し求めようとする強欲が渦巻いているのだ。女性は愛に殉じて生きようとし、全霊を愛の交易にかける。だから、その愛が破綻すれば万事休すとなる。つまり、心の崩壊を招くことになるからだ。   『スケッチ・ブック』 アーヴィング著より



 わたしにとって人を好きになるということは恥辱であった。それは執着であり、己の未熟を意味していた。しかし巷では誰かを好きになることは当たり前のことで、それは大いに賛美されている。毎日著名人の色恋沙汰がワイドショーをにぎわしていて、一般によく受けるようだ。誰が誰と結婚しよいが不倫をしようがどうでもいい。ばかばかしい。

異性であるというだけで、同じ人間であるのに特別な感情を差し挟むことの方が私には不自然だ。男の自慢話ほどつまらぬものはないが、女の話はちっとも面白くない。男と付き合うには何か共有できる目標が必要であるし、女と付き合うには自分なりの目的が必要である。そして私が目標とし、目的とするところのものは、自己完結の傾向があるので基本的に私の生活には他者は必要不可欠というわけではない。ゆえに、私は孤独なのだし、人生は孤独なのである。実際、共有できる目標や女を伴わねばならぬ目的の方が少なく、自己本位で相手を付き合わせるか、ほだすか、利用しているかなのだ。しかし、どうも女性はそうではない。恋愛のプロとでもいおうか、彼女らは独創的に恋愛をつくりだすことができる。男にとっては不毛にみえる大地から恋を芽生えさせることもある。彼女らの恋にはきっかけとなる瞬間があるが、男にはそんなものはない。一目ぼれはしても、恋に落ちることはないのだ。

私は異性とは距離をとる。恋愛という茶番に付き合わされる危険を遠ざけるためである。男が業務や事務に関わりなく女と口を利くのは下心以外のなにものでもない。脳の構造から全く異なる、異性のわけのわからない話を聞いて楽しいのは性欲にまつわる感情が満足させられるからに過ぎない。異性に対する特別な愛という感情は私も認める。しかしそれはある程度の距離を保ったうえでなければ成り立たない。「いきの構造」で言われるように、二元性が保たれる必要があるのだ。私は相互に方向をもつ媚態ではなく、自己を離れたところにある異性を大切に扱い、思いやることで真の愛とやらが実現できるのではないだろうか。
関連記事

自家源泉をもつレストラン 湯河原温泉『オーベルジュ 湯楽』

旅に出る理由は人それぞれである。一般によく言われるのは現実逃避のため、趣味・娯楽、流行などだ。冒険心とかいってみるとちょっとかっこいいかもしれない。私はというと、旅をすることで現在の自分自身を生き、現実とは異なる世界に身を置くことにより自己の保存ができると考えている。だから私は定期的にそのときの気分に合わせて旅に出て、そこに深くわが痕跡を残してくるのである。そうすれば、そのときの自分にいつでも会いに行けるのである。その場所に行けば、想像以上に鮮明にその時の記憶がよみがえってくる。

「湯河原温泉」は私にとって特別な温泉地の一つである。夏目漱石や国木田独歩など多くの文豪が逗留し、執筆に励んでいたということももちろんその理由の一つではあるが、この温泉地は松尾芭蕉「奥の細道」の大垣にあたる、私の「奥の細道」のむすびの地だったのである。長旅の疲れが溜まっており、湯河原の旅は満足のいくものではなく、必ず再度訪れなければならないと私は決心していた。

それにしても、「湯河原温泉」は不運な温泉地だ。山側には首都圏最大の温泉地、「箱根温泉」が控え、すぐ隣には温泉の半島「伊豆半島」の付け根に位置する日本屈指の大温泉地、「熱海温泉」が構える。その証拠に、近年経営不振によっていくつか旅館が閉館に追い込まれているようである。しかし、それゆえに静養や旅情に浸るには最適な場所でもあるわけだ。そんな中、『オーベルジュ 湯楽』は宿泊施設を備えたレストラン(オーベルジュ)として新たな歩みを始めた。さびれていく温泉街は全国に多いけれど、再生の旗手となるたった一つの旅館さえあれば活気は必ず戻ると私は信じている。温泉は石油と同様に金の泉であり、サービスさえ充実していれば癒しを求める現代人はきっと足を運ぶだろう。

旅館で重要なポイントは、水回りが最重要だが、館内の清潔感(特に温泉の場合、風呂の清潔感と泉質は絶対条件)、食事、スタッフのおもてなしである。『オーベルジュ 湯楽』は豊富な湯量の自家源泉をもち、源泉掛け流し。その上、こんなに贅沢な無料貸切露天まで設けられている。

14-01-19_513_convert_20160216110933.jpg

にもかかわらず、オーベルジュでレストランがメインだというのである!そう謳っておいてレストランがイマイチならばこれはもう致命的だが、湯河原という土地柄、食材は海の幸・山の幸いずれも豊かで、腕のいい料理人と店内の雰囲気づくりさえ気づかえば成功必至と言わざるをえない。

地元の野菜を使ったイタリアンと和食を融合させたコース料理を提供するレストラン「ピノクラーレ」。いかに期待感をゲストに与えるか、私たちは普段直接的対象、主役・メインに関心を向けがちであるが、その背後にある効果や意図、脇役や物語性などにも意識を向けるべきだ、本能的に私たちはそれを感じ取っていながら意識していないだけなのである。

DSCF6308-1_convert_20160216114612.jpg

様々な地元の旬の食材を調理した料理はどれも美味であったが、その中でも特に印象的だったのは相模湾で水揚げされた、ホウボウ・アカムツ・キンメダイの刺身である。これは絶品であった。この季節の白身魚はめちゃくちゃうまい。そうそう食べられない感動的な三役そろい踏み。

IMG_0102_convert_20160216115708.jpg

内湯も特徴的であり、全体的にインパクトを与えるような魅せ方が上手で、巧みにブランド化されており、リピートしたくなるような仕掛けが組まれているのには脱帽だった。

14-01-19_572_convert_20160216114117.jpg

珍しく、温泉に関する記述がほとんどないが、源泉掛け流しとあって、泉質も文句なし。中部圏では箱根や熱海は知っているけど、湯河原温泉は聞いたことがないという人が多いように思うので、これから少しずつその知名度が上がり、箱根・熱海・湯河原、全体がもっと活気づくことを願っている。
関連記事

失いつつある若さに対するぼんやりとした不安

この世のむなしさが見えないのは、おのれ自身がよほどむなしいのだ。だからそれは誰にでも見える。もっとも若者は別だ。彼らは皆、騒ぎと気晴らし、そして将来の計画のうちにあるのだから。

だが彼らから気晴らしを取り去ってみよう。倦怠でふさぎ込むのが見られるだろう。彼らはそのとき、我知らずおのれの虚無を感じている。おのれを見すえてそこから目を離せないように追い込まれるやいなや、耐えがたい悲しみに陥るのは、なんとも不幸なことではあるまいか。  『パンセ』 パスカル著より


私は周囲の人と同じようにしていては彼らと同じような生き方しかできぬ、と思い、何か特別なことはせずとも一人の人間としてこの大地に存在しようと、その一心で自分を矯正してきたのであった。賢人の言葉を探しまわり、名著と呼ばれるものを読み漁り、それに倣い、習おうと、そんな風にして若い時代を過ごしてきた。私はこれで、他人、いわゆる常人よりも抜きんでたつもりでいたのである。若者の好むものを退け、若者が楽しむべき気晴らしを遠ざけた。それゆえ早くにこの世のむなしさが見えたのかもしれない。バブル期でもなく、青春を知らぬ私がこの世の喜びを知るすべはなかった。生きてきたこの全世界が次第に荒廃していき、色あせていく悲しみ。燃えるような恋を私は知らない。情熱と呼ばれる若者の特権は身に覚えがない。

私はもう若くなくなった。手にはシミができるようになり、前よりも物覚えが悪くなり、物忘れするようになってしまった。衰えが始まったのである。失われていく若さを前に、生きる意味が分からなくなっている。もしかしたら、芥川龍之介のぼんやりとした不安という自殺の動機は私のこの若さを失っていく、衰えを感じ老いていくことへの不安、さみしさをもっと、もっと壮大にしたものかもしれない。失いつつあるこの現在にしがみつかんとしている自分がいて、まだ私が自覚せずにまさに若さの知行合一、若さそのものであるがゆえに、若さを感じることが出来ないその時点を切望しているのである。二度と戻れぬ、そして若さを体験せずに過ごしてきた人生を否定するつもりはないが、なにかを妬み、羨んでいるのが現在の私である。尾崎豊はこの歳で死んだ。私は彼の年老いた姿というのがどうしても想像することが出来ない。藤村操はもっとずっと若かった。芥川龍之介や太宰治も若さを使い切る前に死んだ感がある。そうした若さを持ちながらにして世を去ることが、何か救いのように見えることがある。私に足りないのは勇気と気力だけだ、という気さえする。ただ衰え、老いていく、そして死ぬ、このむなしき世界に私はなにを望めばいいというのだろうか。アンチエイジングが多くの人間の関心ごとであり、現代の流行りである、私もそのつまらぬ人たちの仲間入りというわけか、くわばらくわばら。
関連記事

群像の舞台「山下公園」 中華街のレジェンド「萬珍楼」

山下公園は舞台のようだ。そこには様々に人間模様が描かれる。行き交う人々の一人ひとりが自分に与えられた役割を演じるためにその舞台に上がる。そして役割を終えると静かにそこを降りる。大空と横浜湾を背景としたその舞台にはちゃんと観覧席まで設けられている。通路に並べられたベンチである。横浜ベイブリッジは絶えず蜃気楼の中で震えて見え、大桟橋にはときどき豪華客船が到着するが、氷川丸はずっと山下公園を見つめている。

DSCF8573__convert_20160208175042.jpg

私たちはその舞台が佳境に入るところ、つまりにぎわうときに席をしめるべく、会場近くの売店でフレッシュネスバーガーを買い、氷川丸近くの特等席を陣取った。私の住む地域にはフレッシュネスバーガーはなく、すこし街のほうに出れば一軒だけ店舗のあるのを知っている。しかし、わざわざ食べに出かけることはなかったから、この機会にフレッシュネスバーガーを食べられたのは私の楽しみを倍増させた。最高の舞台を見ながら食べるハンバーガーは格別に決まっている。フレッシュネスというネーミングに私はプライドを感じたし、店づくりからして明確なコンセプトがあるようで利用するのに心地よかった。そして包み紙をひらくと期待以上の香ばしいかおりが立ち上った。私も彼女も大きく口を開け、一思いにかぶりつく。食べごたえがあり、しっかりと肉の味がする。うまい。

臨海公園というと味気ないイメージがある。どのように使うのかいまいち見当がつかない遊具や場にそぐわないオブジェがあったり、芝の手入れがなされずに、風が我が物顔に吹き荒れ、とても憩うことができないといったところもある。けれど山下公園は開放感があり、のんびりとした時間が流れ、まるでニューヨークのセントラルパークのようだ(私はもちろんニューヨークにいったことはない)。おしゃれな役者が集い、思い思いの時間を過ごすこの空間は昔も今もきっと横浜の象徴なのであろう。人工的な公園であるにも関わらず、人の息遣いや体温を感じることができる稀有な場所であるかもしれない。横浜が独特な文化を形成し、人々にとって魅力的に映るのはそこを流れる時間が、その時間を創る人々が東京から一歩引いたところで日本の発展と成長を眺め、それゆえに考察できるからではないだろうか。

昼下がり、人影はまばらになり、舞台は閉演といったところであった。それからは極々普通の横浜観光。夕食はこちらの横浜中華街にある『萬珍楼』。

20091228210021bef_convert_20160208183251.jpg

萬珍楼はもしかしたら中華街で最も目立つところにあるかもしれない。中華街の一等地といっていいだろう。ここを訪れた人の多くはこの迫力満点のけばけばしいとさえ思える、料亭とは別種の店構えに注目せざるをえないであろう。文明開化が起こり、横浜が急速に変化していった、明治時代に看板が掲げられたという当店はまさに中華街のレジェンドとでもいおうか。両親から―私はまだ幼かったようで記憶にないのだが―家族みんなで『萬珍楼』で食事をしたことがあるという話を聞いたことがあり、その存在は知っていたが、どうして大層立派な建物である。入店すると迅速な対応を受け、比較的簡単に中華を堪能することができた。有名店であり、人気もあるようで混雑していたものの、順序良く、手際よく給仕される品々とおそらく日本人好みに調理された刺激はおさえられた安定感のある味で、またチャーハンや野菜炒めをはじめとする定番品目が充実しており、わかりやすいメニュー作りで気軽に本格中華が味わえる。価格も比較的リーズナブルでボリュームも十分ので単品、コースいずれでも満足できる。中華街を代表する名店であることは疑いようがなかった。
関連記事
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる